不登校、久しぶりに三級の大地を踏んだ

今日は、何もする気が起こらないで、家にずっといた。
学校にも行っていない。すべからく研究室にも顔を出さず。
こんなことができるのも、今のうちだけだ。たまにはよかろう。
特に行っても行かなくても、今日という日は単位がどうとかいう話にもつながらないと思われる。
夜から図書館に行こうかと思っている。


昼ころから将棋を指して、24で早指し将棋をして、3級に久しぶりにカムバックした。
おそらく半年ぶりとかそういうレベルではないかと思う。
大昔、約半年前くらいに1400という未踏の大地を踏んだはずであるけど(つまり2級)、
それ以来、2級に居座ることはできなかったわけで、1100代を放浪し、挙句の果てに中級まで落ちる、
というようなことを昨年の暮れにしていて、「いや〜、勝てないなぁ」という時期が長かったわけだけど、
ここにきて、じわっと腰を落として、本当に徐々に徐々に少しずつレートを上げている。


一時、将棋をやりまくって、急速にレートを上げても、なかなか居座ることはできない。
けれど徐々に徐々に、初段に迫っていけば、きっといつか到達できると信じている。
便所で詰将棋を解くのは習慣になっていて、それがないとちょっと嫌であるし、
さらにいえば、一冊の本を何周もしていて、私のつたない記憶力でも、問題を覚えて7手詰めでもすぐにわかるし、
もう一周まわして、すらすらとできるようであれば、他の七手詰め程度の詰将棋本を買おうと思っている。
それをまた一日数分で何周もまわそうと思っている。


将棋をし始めて、とくに24で昇級を目指しながらやっていると、(最近はあまりできていないけど)
たとえば便所の中で一日数分でも頭を使って、考えることにより頭がクリアになるように思えるし、
ぼーっと生きていれば、学校以外あまり頭を使うこともないために、よい刺激になっている。
別に、最近は、無茶苦茶将棋にはまって学校に行かないなんて事もないし、たまには将棋に触れてみて、
調子が良ければ今日のように4連勝だかして、その棋譜の内容も自分なりにはきっちりとした出来具合で、
一生懸命やっているのを自分で感じたりするわけで、
知識の積み重ねもそうだけど、なんとか集中力上げて一局に勝とうとする、あの気持ちの中で過ごす時間というのは、
悪くないものである。
多少たりとも、私の鈍い頭を少しばかりクリアにしてくれる、よい趣味であるし、趣味としてよい距離感を保てているので、
おそらく一生ものの趣味になっていると思われる。
3級もあれば、それなりにNHK杯などを見ても楽しめるし、たまには名人戦があったと聞けば、
棋譜を追ってみて、すごいなぁと感嘆したりで、悪いことは一つもない。
ネットの生放送でも、コンピュータ将棋選手権などもやっているし、連盟のイベントもやっているので、
見れば楽しい時間を送ることができる。


一年以内に初段になろうという、欲望にさいなまれて将棋を指していた時期よりははるかに楽しめている。
とはいえ、もう将棋を初めて1年と数カ月はすぎているわけで、一年以内に初段到達の目標などは頓挫したことになるのだが、
私は何年もかけて、初段に到達しようと思っている。
年寄りになるころには2000くらいに行けばいいが、早指しは若くないとできないらしく、困ったものである。
そうはいっても私の場合、そうそう読みまくって指しているわけでもなく、ぬぼーっと指しているので、
あまり老人になってもそうそう私のほうは変わらないのではと思うけど、結構落ちるんだろうなぁ。
なお、老人になるころには将棋もある程度のレベルになっていると勝手に想定して、囲碁も老後にやろうと思っている。
将棋をやっていれば、多少上達が早いらしい。
麻雀もやりたいのだが、友達がいない(笑)。


2年以内に、初段は難しくないのではないかと思ったりもしている。
底が上がっているのは感じる。すべては詰将棋のように思う。


そういえば、数日前に図書館を歩いていたら、「自然科学者のための数学概論」という有名な本が、
「ご自由にお持ち帰りください」の棚にあったので、びっくりして持って帰った。
本マニアの私は持って帰るだけで、大満足なのである。
日に焼けて歴史を感じさせるわけで、家のオブジェにはぴったりである。
鉛筆での書き込みがあるのが嫌なところだけど。