何か月ぶりにここに来るだろう2

そんなこんなで,迎えたのが4月の就職である.
精神的にはかなり不安定だったように思う.たぶん,だいぶん訳がわかってなかったんじゃないかなぁ.
よくあの状態で,東京のほうまで新人研修で送り出され,典型的なオフィス街で2週間程度暮せたと思う.
今思えば奇跡である.
大学,大学院時代,私にとってはかなり精神的に追い詰められることが多かったし,危機対応だけはある程度上がっていたのかもしれない.


そこからのしばらくの東京での研修期間は,どうもこのブログを読み返すと記事を書いているらしい.
今読み返すと,同意する部分もあるが,どうにも強気で挑戦的な記事に思える.
あのくらい躁状態でないと,たぶんあの研修は乗り切れなかったんだねぇ.
初めてですよ,一部屋とって人がたくさん見てる中で,ある区間を誰もしない行動をしながら移動しなければならないってな課題をだされたのは.
そんな課題を出したのは,P○P研究所とかいう出所は今でこそ正しいといわれながらも,本当にオカルトチックな組織に研修依頼してるんだから.
あの本読んだこと,恥ずかしながら,大学時代の読書初心者のころはある.
でもね,あんな本はもう二度と読まない.だいたい本を読み始めたら,あまりに俗っぽいかの出版社の本は敬遠しがちになるが,
敬遠後に,そこの研修を受けることになるなんて,夢にも思っていなかった.
しかしながら,今思い返しても,楽しく刺激的な生活だったと思うから,東京は躁状態もあってか楽しかった.


東京でのお祭りも終わり,採用者はそれぞれの現場へと出荷されていく.メーカだからねぇ.
メーカは別に○H○研究所のように,霞を人々に売っているわけじゃないからねぇ.
もっと実際的なものを売っている.
なので,結局,東京のオフィス街での研修ってのは,そこにいる「都会的な人達」が考えた内容なのであって,
実際に物を作っている工場なんかじゃあ,もう180°反対の研修が始まる.
結構地に足ついている.
工場では,まず不用意なことをしたら死ぬ,というところから始まって,安定性の担保されたものをつくるにはということが議論される.
お祭り状態からいきなり連れてこられたら,なんと夢のないところかと思うが,長くいるとなじんでくる.
むしろ発想があまりにも飛ばないから,安心である.


それから,2ヵ月程度か.工場で導入教育が進められる.朝早く起きて,定時に帰るという生活である.
毎日が規則正しく過ぎていく.この繰り返しで,精神的にはかなり落ち着いた.
規則正しい生活は,飛んだり跳ねたり,地の底に落ちたり忙しかった私の心を,随分落ち着けてくれたと思う.
そして,導入教育が終わると,いよいよ各部門への配属となる.


続きはまた明日か時間のあるときに書く.もう眠い.
さすがに今日は夜更かししすぎである.いつもは12時には寝ている.