上級に昇級

最近は上級昇級できそうなレートで上下していたので将棋ばかりしていたのだが、
ようやく本日5級になることができた。


「将棋は上級者です」と自己紹介をしてよいのだろうか。
その割には、居飛車穴熊と角換わりしかしらないし、それらの定跡本も読んだことがないので
見よう見まねのメイン戦法なのであるが、
なかなか棋書を読もうという気にもならないし、どちらかというと実戦のほうがはるかに好きなのである。


上級に上がる原動力となったのは詰将棋の本である。
900程度から相手が強すぎて勝つことができない状態が続いていたので
どうしようと考えていると、詰将棋が「将棋の基礎体力をつける」と言われているのを聞きつけた。
それで詰将棋を解き始めたのだが、(7手詰めまでの簡単なもの)
不思議なことにこれらをこなすことで、終盤はもちろんのこと、中盤の捌きあいにも良い影響をもたらした。
おそらく詰将棋というのは頭の中で駒を動かし、いろいろ想定しながら玉を追い詰めていくわけであるが、
頭の中で駒を動かすということ自体が、どうやら中盤にも終盤にも多少たりとも読む力を与えたということであろう。


当時、全く勝てないと思った900代の人間とやるとして、
900前半の人間にはそれほど負けるとは思わない状態になっているし、
(ただ6級の相手となると、勝つか負けるかわからないと思うレベル)
成長はしているのだろうと思うが、5級を維持するのは大変そうである。


今やっている詰将棋の本と、それから手をつけ始めた寄せの本をやるとして
しばらく実戦はやめて本読みに励んでもよいかと思う。
実戦を極力減らしていってもいいかなぁ。


最近は上級に上がれそうだから随分将棋に時間を割いていたが、そろそろ勉学のほうにも時間とエネルギーを
捧げなければならないと思っている次第である。


上級昇級は、正直レート1000のときと比べるとあまり感慨というのは沸かなかった。
ネット将棋はどこまで行ってもネット将棋である。
ただひたすら孤独で、誰もほめてはくれないし、誰と対話を交わすわけでもない。
ひたすら相手玉を詰ますことを考えてという、なんだか悲しいものである。


これがリアルの将棋道場であれば、そこに交わす言葉などもあるのだろうが、
ネット将棋はそうではない。
ただひたすらに自己満足が広がっているのみである。


一体何のために?
そんな思いがふと浮かんでしまうようになった。
こういう気持ちをどうやって処理するかというのは、何事においても大切なものだろう。
過去に何事に取り組んでいてもこういう感情にとらわれることはよくあった。


なぜなら私のネット将棋の未来を想像するに、たとえば24で初段になったとして、
それ以上の想像ができないわけである。
初段になれば二段になりたくなるだろうし、二段になれば三段になりたくなるだろう。
将棋24には十段まであって、その十段の人間はほとんどプロまがいといってもよい人間である。
私はいまから上達していって、彼らとやりあうことができるかと想像しても
・・・できるのだろうか?という想像しかできないし、(できないだろう)
もしそういう状況になったとしても、私もあと6年たてば30代に突入し
その後10年たてば40代である。
よもや早指しでろくに頭も回らない状況になったりもするのではないか。
そもそも将棋は生涯の趣味として、私にとって良いものだろうか。
そんなことまで考えてしまう。


とりあえずここまでの自分のデータをメモしておこう。
レート 1063   対局数 1528 勝 693 敗 833 分 3 勝率0.454


2月から始めたから7か月というところか。
そろそろ24登山にも疲れてきた。