ボルツマンとマッハの論争

ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け

ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け


ボルツマンについての科学啓発本を読了。
面白かったので一気に読んだ。リンドリー氏の著書は面白い。
次もリンドリー氏の訳書を買おうかしら。


内容はボルツマン以後に生きる、私のような劣等工学部生でも啓発される部分を含んでいる。
とくにボルツマンとマッハの論争は、これから科学を学ぼうとする若い人には大いに
参考になる部分があると思われる。


ボルツマンというのは、本来、純粋な自然科学者であった。
哲学者ではなかった。
一方でマッハは哲学者であった。
彼は彼特有の懐疑によって、当時実証されていなかった「原子の存在」というのを
認めることはなかった。
実証されていないものに基づいて組み立てられた理論体系ももちろん否定する。
その徹底的な懐疑のスタイルが、当時のウィーンを中心に科学に対する姿勢として
「流行」していたわけであるが、ボルツマンはマッハのその姿勢に対して反対であった。


たとえばマクスウェルの「電磁波の存在の予言」というのは、彼が組み立てた
電磁気の理論体系から数学的に、あるいは物理学的に予言されたものであるが、
マッハは理論が先行して、それによってなされる予言すら、
「科学とは言えない」と徹底的な懐疑のスタイルを貫いた。


科学の基本的な考え方である「因果律」に関しても、
ある入力に対して、ある出力をするという現象があったとして、
その入力(原因)が出力(結果)とかかわっているということがどうして言えようか、
そうかもしれないし、そうでないかもしれない、というようなスタイルだったようである。


しかし、そのようなマッハの過激な懐疑によっては科学というものは発達していかない、
というようなことを思うボルツマンは、マッハ哲学を論破してやろうと、
後年その才能を哲学に無駄に費やしてしまったという。


哲学嫌いの物理学者というのは結構いて、ファインマンは哲学嫌いを公言しているし、
ディラック量子力学の哲学論争について分け入ろうとはしなかった。
彼はその方程式にのみ興味があり、そこに哲学的な何かを介在させることを嫌った。
このリンドリーの著書によれば、ボルツマン、マクスウェル、ギブスも
そういうタイプの物理学者であったという。


一方で、哲学好きの物理学者もいるのである。たとえばマッハはそうであっただろうし、
ハイゼンベルグ、ボーアなども哲学好きの物理学者として分類されるのではないか。


しかし、マッハのように厳密な懐疑にとらわれると、科学上何を残すかという仕事は
ぱっとしない場合も多いようである。
マッハの弟子である、パウリも優秀だといわれていたが、それほどの功績は挙げなかった
といようなことをいう人も後世にはいる。


ただ、マッハに関していえば、学校ではどちらかといえば劣等生であり、
自分が納得できるかできないか、
という点に固執して、学問に取り組んできたわけである。
彼の哲学というのも、彼が不器用ながらも物理学に取り組んでくる過程で
彼の感覚に照らし合わせて構成されたものであろうし、
一方でボルツマンというのは、知識をどんどん吸収していく優等生であったようである。


リンドリー氏の解釈では、マッハは自分は頭がよいと思っていたが、
学校で優秀でない自分を考えるときに、
「学校で優秀なやつは頭がよいのではなく、ずるいだけである」
というようなことを思っていただろうと言っているが、
こういうことは劣等生は少なからず思うことであり、
しかし、優秀であるのか、そうでないのかわからないその頭脳で、
果敢に優等生に突っかかっていったわけであるから、私はとても人間的であると思う。
が、その極端な懐疑論というのは、科学を前進させないし、
さらに哲学に深入りしすぎては、どうにも科学者としてはやっていけないらしいということを
自分について照らし合わせるときに、私もよくわからない哲学書に手を出していた時が、
前にもあって、やはり科学に対しては、徹底的にドライに、
パズルを解くように取り組んだほうが、良いのかという考えにも至らないわけではない。


尚、ボルツマンは、晩年は不安感にさいなまれて、自殺に至る。
ボルツマンやマッハの論争というのは、科学というドライな科目に似合わず、
まるで文壇のような「人間臭い様相」を呈していて、
科学が人間の技であることをまざまざと感じた。


ボルツマンが身を削って作った統計力学を、私も後期に読んでみようかと思う。
砂川氏の「物理の考え方シリーズ」に取り組んでみようかしら。
統計力学は、100年くらい前の比較的新しい物理の分野であり、
実際つい最近のことである。
確率論がロシア人数学者によってまとめられたのも、20世紀であるし、
これらが最近の成果であるということがよくわかる。
力学、波の物理学はもっと古い。