退学になりかけた(笑)

今日は実験レポートを遅れながらも実験担当の助教にもって行ったのだが、遅れた理由がないと受け取らないという。
・・・受け取ってもらえなければ私は退学である(笑)。
実際には(笑)なんて強がっているけど、相当気持ちが落ちてきて、実験の前半などは全く頭に実験内容が入らない。
実験をしているフリをしながら、がたがたの精神状態でもともとあまり回りのよくない頭で考えた。
「とりあえず落ち込むな、気持ちを落とすな」と自分をたしなめ、
そこからあの鉄仮面みたいな冷徹な面をした、旧帝大卒の助教が何を考えているか、考えようと。
私のような何の権力もない一介の学生に、単位をやらないで卒業させまいと思っているのではまずないと仮定し、
私のレポート遅延の理由が建前的に成立していなければ、あの助手はレポートを受け取らないと結論した。
逆にいえば建前的に成立していたら受け取るはずである。
その後、「白い巨塔」のドラマの西田さんが頭の中に出てきて「受け取らすんやないかい!」という言葉が浮かび、
「それや、受け取らすんや」と思い、ぺらぺらと言い訳をして受け取らせたわけである。
もちろん「私という至らない存在」というのを、相手の嗜虐性(これ変換しても出てこない)を満足させるために、
随所に入れ込んだわけだけど。


この間、私の頭の中には「退学」という言葉と、「路頭に迷う」という言葉が一緒になって、
私の精神をどんどん蝕んでいった。
こんだけ愛着がない大学でも、私の「学生」という身分を担保してくれていたのである。
確かに一応でも「大学生」という身分を失い、どこかのバイトで暮らすのは苦痛だという結論に到達し、
その場で自分の精神を叱咤し、気力を取り戻そうと必死だった。
結構「退学」という言葉をリアルに突きつけられてみると、がらぁっと環境が変化して、自分の想像の及ばないわけだから、
「恐い」という感情が湧きあがるのである。


それで今日の実験は、実験中にぐわんぐわんした精神状態になってしまい、無駄に精神的な疲労をしてしまった。
「退学」を突き付けられた時の疑似的な体験ができたので、いい経験にはなったかもしれない。


実験が終わった後に、もう一人の助教の若い兄ちゃんのところへレポートを提出しにいった。
「失礼します、実験を受けているものなのですが、遅延したレポートを提出しに来ました」といったのだが、
「名前は!?」といきなりの怒鳴り声。
「●●です」と答えるのだが、「ポケットに手を突っ込むな!」といわれる。
私の手はダウンジャケットのせいで、ポケットに手を突っ込んでいるように見えたかもしれないが、
実際には手が入っていない。「入れていないんですが」というと、「そうか」と残念そうな様子。
その後、名前を名乗らなかったことに小姑のように愚痴愚痴いっていた。


しかしながら、ここで「知るかボケナス」としてしまっては、これまでの私と同じなので、ここでも下手にでた。
「君、文章のないレポートはレポートじゃないゴミだよ」といわれたが、
あまり大した実験ではなかったので、数式と図を並べただけのレポートを提出したのである。
それはどうやらゴミのようで、再実験を来週やるから来なさい、ということであった。
そこで私は、「アリガトウゴザイマス、ゴメイワクヲオカケシマス、ヨロシクオネガイシマス」と
立て続けに最上級呪文を唱え、自分の情けなさに少し嫌気がさしながらも、大人になったなぁと思った次第である。


一昔前の私なら、こんなパワハラ糞野郎の言うことなど一切聞くことはないと思うのだが、実験中の「退学未遂事件」が
尾を引いている精神状態であり、かなり精神的にも来た。
確かに私は怠惰を絵に描いたような人物であり、さらに言えば、この大学に何のリスペクトも持っていないのであるが、
そういう人間というのは、この大学では生きづらいということは、やはり分かり始めた。
要するに、この地方駅弁大学の工学部というところは、周りの学生と仲良くし、教授を尊敬する人間こそ生き残れるのだが、
そうでない人間というのは、弾き出され隅に追いやられるのである。
「学問」といえば高尚な何かだと思うのだろうけど、地方の駅弁の実像なんて、ただただ人間的な世渡りの所産である。
極めて人間臭く、その臭気に嗚咽してしまうのであるが、それが嫌な人間は私の記憶でも大抵の人間が辞めて行った。


特に実学系の学部なんていうのは、そこでものを考える人間とか思想性にあふれた人間を輩出する機関ではない。
(地方の駅弁はそうである)
「全体左向け左」と言われれば左を向き、従順に課題を遂行する人間が求められていて、さらにはその「猿山」の秩序というのを、
乱さないでさらには尊敬の念まで抱くような人間が理想的なのである。
大学というのはそういうところで、中にはパワハラなど一切しない教授もいるけど、「知」というものを求めるのが、
南アルプスを孤高に上る登山のようなもの」と想像しているなら、実学系の学部には来ないほうがよいと思う。
「知」を求めるには、「ごめんなさい、わからないので教えてください」という従順の呪文を唱え、
「すみませんが、世間である一定以上の身分にはなりたいので、仲間に入れてください」というのが実学系の学部である。


実際に私が今、大学でやっているということというのは、「すみません、教えてください」とか
「すみません、ここでやっていきたいので、どうかレポートを受け取ってください」とかそういうことである。
実学系では、やんちゃで言うことを聞かないタイプの人間というのは、とても損をする。
そういう人間が私は大嫌いだったわけだが、
(入学当初のオリエンテーションで学科の院生が話している姿を見て、虫酸が走った)
私も大人しくなったもので、その流れにしたがうわけである。


これは60年代なら、大学解体、権力解体の学生運動の対象になるようなことであるが、
今はマルクスなど流行らないので、みな従順に従うのみである。
研究室もそういうところであり、私の肌に合わない水だろうと思うけど、ここまで来て退学はさすがに私のシナリオにはないので、
(とはいっても覚悟はしておいたほうがいいかもしれない)
従順にあと1年ほど従うのである。
思うに、こうはなりたくなかったので、最後まで抵抗していたのである。
そうなってしまったけどね。