一年終わったなぁ、今年はいろいろあった、来年も一体どういう年になるのか見当もつかない

とりあえず、仕事納めとかはもう数日前くらいにした怠け者であるのだが、一年を振り返っておこうと思う。
いや、本当にいろいろあったと思う。よく精神力が持ったなぁとも。
周りから見たら大したことないのは承知なのであるが、しかし私にとっては結構特別だったかもしれない。


今年の始まり、というより去年の今頃、母方の祖父が亡くなった。
葬式では涙を流したが、自分を含め、自分の家族だって、知人だって、皆儚い人生の中にいることを理解した。
それまで、自分を含め、周りの人間も死んでしまうなんて、あまり思ったこともなかった。
死というのが非常にリアルなものに見えたりしたと思う。
しかしながら私はおろかなもので、今はあまりそういう実感も薄くなったりはしているが・・・。


そのように妙な年の暮れを迎えて、新年を迎えた。
あのころは、まったく実験レポートを書いておらず、これで大学も退学になるかもしれない、とも思っていた。
大学やめたらどうするのか、なんてしかしながら一つも考えていなかった。
ぼーっとうつろに、学校に通っていたような気がする。
2月は、さすがの私も「このままではいけない」と思ったらしく、実験レポートを頭を下げてすべて提出し、ギリギリで進級。


進級は決まりながらも、就職について今度は焦り出した。それが3月頃である。
正直、進級の時に精神力を使いすぎてかなりばてていた。
しかしながら、どこかに道を作らなければならないと、就職活動なるものをしてみた。
所詮は、真似事であるが、ネットで就職サイトに登録して、近くにある工学系の企業の説明会に出た。
結果は、まったくもって明るいものではなくて、自分ってどうしようもない、世間的には、自由主義経済の中では、
まったくもって無価値の人間だと悟った。
なにせ、就職活動でアピールする部分がない。
「今年は、就職活動と授業でおそらく埋まるかだろう。企業に落ち続けて、尚且つ単位をとる精神力は私にはないだろう」
と正直なところ思った。
極めつけは、近くの大きな会社の説明会に行った時の、非常に冷たい対応。
建前的に開かれた説明会にて、世の中ってドライなところやな、と悟った。


そんな気持ちの中、進級試験というのがあり、これで留年者の中でもドべから二番目という驚異的な結果をたたき出す。
別に進級試験なんてどうでもよいと思っていたのだが、そのせいで「もっとも忙しい不夜城」と呼ばれる研究室に行くことになった。
これはかなり予想外であり、就職活動は絶望的だと考えるに至った。
春に研究室の歓迎会があったのだが、私はびくびくしながら、しかしながらこの大学の中で優秀なんてたかが知れてるだろ、
とか思いつつ、非常に複雑な気分でそれに参加したことを覚えている。
結構、周りも8年生の私に気を使っていたのか、いろいろ励ましてくれて、いつの間にか大学院に行くことになった。
「大学をとりあえず卒業だけはしたい」と教授に伝えたわけで、「だったら大学院受けとけ」みたいな流れ。


同じくして、今までたまに遊びに行っていた部活の友人たちとお別れ。
最後にお酒を皆に買って、私より一足も二足も先に社会人になっていく彼らをむなしく見送った。
非常にさびしかったけど、春の生暖かい空気が、私を鈍感にさせていたのであまり実感がわかなかった。


4年の前期は、研究室のゼミと院試を受けた。
ゼミではかなり下手をこいて、自己嫌悪に落ちいったのを記憶している。
それからあまり研究室にはいかなくなって、院試は毎日だらだらと一科目だけ勉強していて、
院試の朝に数学と専門科目をとりあえずできるだけ復習して、ダメ元で試験を受けた。
正直、あのころの精神状態はかなりやばく、研究室での無力感と、それから進学を決めたくせに中途半端な自分への自己嫌悪、
それから将来への不安、まったく院試の勉強に手を付けない自分への焦り、などなどかなり精神的に飛んでいた。
恐らくまぐれで院試をパスしていたと思うが、これで落ちていたらもっと底まで落ちていたと思う。
もっとも底なんて概念はこの世にはなくて、底なし沼だとは思っているのだけど。


進級の際に相当の精神エネルギーを使って、かなりばてていて、どこかで休みたいと思っていた。
院試終わってからは、もうフラフラで、心療内科にとうとう行った。
診断は「発達障害(ADHD)」というものであった。
最初は、自分の過去を思い出して、その症例に当てはまっていることを認めた。
そして「私は発達障害なのだ」という診断に、これまでの人生の苦痛の理由まで説明してもらった気分になり、
そこまで悪い気分にはならなかったと思う。むしろ、楽になった。
ただ、薬代はかなり高くて、さらにその辺の通俗発達障害本を読んで、最近、発達障害と診断される人間が増えている、
というのを医師側の立場からみると可笑しな事実があることを知った。
知ったというより、それが本当かどうかというのはわからないから、私はそのフィクションを選んだ。
しかしながら薬が脳にどういう影響を与えるか、というのはあまりわかっていない、というのは脳がそれほど解明されていない、
という事実から私でもわかるわけで、薬を飲むのをやめた。


その後、心療内科に通っていた時期と同じくして、卒業研究がスタート。
最初は指導の院生と二人三脚で、わかるようになることが多くなって非常に楽しかった。
その後、英語論文に立ち向かい、まったく理解できない自分のイライラし始めた。
無力感にさいなまれつつ、このころはあまり大学に行っていなかったかもしれない。
だらだらと指導の院生の後を追いつつ、このままではだめだと思い、土日も少しだけ顔を出すようになった。
12月の初めに、一つだけシミュレーションがうまくいき、共同でやっている研究に意見を多少言えるようになった。
それから年末には企業報告もこなし(本来なら私は報告しない戦力外とされていたのだが、このままではだめと思い踏ん張った)、
それから次の企業報告から私に任され、(院生もそろそろ引退だからという事実が非常に強いのだけど)
年末最後のミーティングで、ばてながらもつかみはOKな報告をした。
しかしながら、年始は早く登校してなんとかしないといけない課題を一つ残して、今ここという状況。


忘年会でも、ボスは私に声をかけてくれたり、結構いい先生だし、
準ボスも頭が非常に切れる人だけど、迫力に圧倒されるときはあるけど、「結構粘りがあるね」と言ってくれたり、
周りの学生ともなかなかに仲良くやれたりしていて、徐々に人生が開けそうな気持になっているが、
ここでふわっと気を抜くと、地獄の底に落ちそうなのは想像もつく。
周りが一気に冷たくなるだろうなぁ。


以上が今年の出来事。
何とか道を開こうとしたら、這いつくばってやっていくしかないだろう。
屈辱なんてよくあることで、でも砕けないでやっていこうという感じは自分の中にあるような気もする。
でも今のところ、この研究室に来て良かったと思っている。


でもどうなるかわからない、来年も予断を許さない。
今年もいろいろあったけど、正月は実家に帰り、少し早く下宿に来て大学に行こう。
研究課題があるから。
結構早くから仕事納めをしたから、その分早く行かないとなぁ。
ひとまず休んで、また来年頑張ろう。
今年のブログの更新もこれで最後。


あとコメントで私を応援してくれた方、ありがとうございました。よいお年を。