またファミレスで読書

湯川氏と梅棹氏の対談本を読んでいる。
最小作用の原理」というのは、ラグランジュによるものであるが、その前にフェルマー
「最短時間の原理」という「最小作用の原理」に拡張され一般化される小定理を見つけたわけだけど、
湯川氏はこれを「目的論的」という。
これは目的論の原型なのではないかというふうなことを。
梅棹氏はこれに対してはスルー。生態学的に「目的論」というのはどういうことか唱えていたように思う。
あとは「文化人類学的に自然科学を従える」というのは、自然科学のほうが基礎的な学問であるのでおかしい話なんだけど、
しかしながらそれをやる必要があるんだと。よくわからない。
それにしても「最小作用の原理」というのは、極めて汎用性の高い原理であり、
例えば水の中にストローを突っ込み、息を吹き込んでブクブクすると、球形の気体の泡ができるけど、
あれは表面積を最小限にするという「最小作用の原理」が働いているし、
力学の放物線や光の軌道などもそれに従う。
確かフィギュアスケートのスピンの時の、力学的なモーメントについてもその原理に従うような話を聞いたことがある。
良くよく観察してみれば、日常にたくさん出現しているのだけど、そこはかとなく私のような鈍感には気づかない。


他に面白い話といえば、数学的体系、物理学的体系、宗教論的体系、など世の中には体系があふれているけど、
例えば湯川氏が物理学について考えるときに、もととなる淡い考えの芽のようなものは、
別に幾何学的体系に裏付けられたようなイメージを用いるわけではなくて、もっと散文的なイメージであるらしい。
それでも確かにそうなのだろう。コンピュータじゃないんだから。


あとは砂川先生のテキストシリーズの電磁気学を少しばかり読んだ。
一昨日から、精神的にも大分回復(?)したので、読書なり勉強なりし始めているけど、
やはりいいものである。
昨年の夏休みには、スウ氏のベクトル解析をやったり、砂川先生の電磁気学の考え方をやったりしたけど、
一人で分かりながらものを読んだりするのは、非常に良い。
「確率統計」を勉強しようと目論んでいたのは、昨年の学期初めだけど、あれもやれればなぁ。
とはいっても現実の事情があるわけだけど、それでもこうやって自律的に何かに没入するというのは良いことである。
精神衛生上非常に良い。
後期に実験レポートを「やらされながら」書いたけど、正直、身に付いたものというのは「レポート作成技術」であり、
つまりは「表現の仕方(レベル1)」みたいなもので、世の中で生きていくうえでは確かに大切だけど、
肝心の内容の部分はない。


Chopin: The Piano Works

Chopin: The Piano Works


今日はショパンポロネーズを聴いた。「ベンジャミンバトン」という映画にも出てきたなぁ、ポロネーズ


明日は実家の方へ移動して、説明会。なんだか就職活動に振り回されている感じがしてならない。
事実そうである。