最後の晩餐

今日は朝からN●K杯将棋トーナメントの羽生氏と渡辺氏の一戦を観戦。
昨年の対戦とほぼ同じ相矢倉から、同じような中盤を経て終盤の入り口に突入した。
相矢倉って、後手の1筋の香車を上がらせて、同じく1筋に桂馬を跳ねさせて
2四には後手の銀、1三には後手の桂馬、その銀と桂馬の効いていない1四に歩をうって、
先手が大駒を切ってまで攻めたおす、というのが流行っているのかしら。
この相矢倉戦においては、勝利の方程式が成立しているかのようなエレガントな攻めつぶしであった。
難易度が高すぎて真似はできそうにない。
私は渡辺氏を応援していたのだけど、私が見るといつも負けてしまう。


その後、昼からは本を読んで、4時からはラジオを聞きながら自然公園を散歩し、
もう旅立つ友人から夕食を食べに行こうと言われ、ハンバーグ屋に行きラムのステーキを食した。
いつものメンバーは一人そろわず3人で、「最後の晩餐」になった。
私一人だけこの大学に残るためになぜか見送る側になってしまっているが、バラバラになるのは皆同じである。
勝手に見送る側にされているけど。


社会人になってしばらくしたら「上海カジノツアー」に行こう、という話になり、
確かに社会人になってから皆で集まるのは楽しいかもしれない、と思った。
私も社会人にならないとなぁ。


今日は、まだ見ぬ未来のことがなぜか話題に良く上った。
別れ際には、未来の話をするらしい。
結婚だとか、子供だとか、全く想像もしていないことが話題に上った。
友人の一人は子供を3人授かる、というようなことを言っていた。
私の分も日本の少子化に歯止めをかけてほしいものである。
今まで何人も同期を見送ってきたけど、本当に皆大人になっていくなぁ。


しかし、日が高くなったなぁ。もう春になるんだなぁ。
結構長い間連れそったやつらで、いろんなところに遊びにいったりもしたから、本当に別れが恋しい。
これまでの人生で友人は少なく、高校の時なども全く別れなど恋しくなかったけど、
なかなか大切な知人たちとの初めての別れかもしれない。


昨日の本は、物理学の扱う領域、エネルギーや質量と一緒に、「情報」ということを上手い具合に組み込めれば、
宇宙的世界観における「情報」というものの意味というのを理解できるのではというような大きな話、
それから、「情報」などというものを扱えるようになれば「生命」というようなものまで拡張できるのでは、
というような話と、今の物理学の適用範囲について批判的に述べられていた。
どれも大きなお話で、とてつもなく未来の話をしているように思えた。


(追記)
この間落ちたと思っていたゼネコンの一時通過の連絡が本日来た。
連絡が遅れているのは一体何故かしら。
試験もできたし、面接の受け答えも適当にこなしたので、落ちる理由というのを探すと人格否定まで行きつくわけだけど、
落ちていないとあれば、経験値が1上がったことになる。
しかしこのゼネコンは、筆頭株主がちょっとあれなのでどうしようか。経験値のために二次試験に行くか?
でも説明会行くと一日潰れるので、これが嫌なところ。


(追記2)
なぜか某大手製紙会社より電話があった。エントリーは確かにした。
しかし、あまりに巨大企業過ぎて、私の出る幕ではないかと思い、全く無視していた。
●ナビに登録した初期の頃登録した企業で、後になってまず無理だね、と思い至り無視していたのだが、
なぜだか電話があり、工場見学に来てくださいと言われた。
・・・一体なんのつもりだ。
電気機械系の学生を補充したいのかしら。
御社のような一流企業であれば、私のような弱小地方国立大学のそれも学部卒、多留に電話掛けてくる必要ないだろうに。
「もしや?結構採用に積極的なの、こんな大手でも雇ってくれるの?」という淡い期待を抱かせるのはやめてほしい。
まったく意図が読みとれない・・・。だってエントリーシートも締め切りまでに出してないだろう。
今までで一番解釈に困る電話であった。
優良企業だというのは知っているし、一流企業だというのも知っている。悪い噂も聞かない。
ああいう巨大企業ほど、「建前」で動かざるを得ない、ということかしら。