お勉強

今日は大学に行ってお勉強をした。
しばらく勉強していなかったので、まずは手始めに数学の計算に没頭することから始めようと思い、
フーリエ解析の本に取り組むことにした。
どこかの物理学者が「数学の詩」と評したくらいだから、やっていて損はないだろう。


久しぶりに勉強したが、気分としては非常によい。
精神が漸く上向きになってきたということである。
フーリエ変換、ベクトル解析などはきっちり演習を大量にこなしておくつもりである。


今日は初歩の初歩で、周期関数というのがどのような性質をもつのかについて勉強したが、
「いかなる記号も仮の変数として扱うことができるから」
という理由に、私には恣意的に記号を操作したように思えていた数式変形があったが、
おそらく向こうの方が正しいのだろう。
分からないところに固執するよりも、分かる部分を増やそうということで、あまり気にしないで進めた。


多分明日も学校へ行って、これを解きつつ、電磁気学にも手を出していこうと思っている。


集中しているときは、やはり気分がよい。
そして勉強をし始めると、楽しくなってくる。
毎日続けて、知識を広げていくことが楽しくなってくる。
おかしなことで、やる前はあまり気が乗らないのだが・・・。


部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話


あとはそのような数学のお勉強をしながら、敬愛するハイゼンベルグ氏の著書を読む。
昨日から読んでいるが、こんなに明晰な高校生が世の中にいるのかと思った。
その才能、天才の上に、若くしてゾンマーフェルト門下に入って、数理物理学をまなぶという
驚異的な運まで持っている。
高校生にして、「時間、空間、物質」というヘルマン・ワイルの著書を読みこなすという早熟であり、
この「部分と全体」の中に出てくるワンダーフォーゲルの最中に行われる高校生同士の会話は、
あまりにも高度である。
今、通っている大学では、大学生にも関わらずこのようなレベルの話をする人間は見たことがない。
もちろん私もできない。


昨年の初めにも、ハイゼンベルグの著書を読んだのだが、あの時も「勉強したい!」という気持ちになった。
明日も図書館に早めに言って、勉学に取り組もう。
そろそろ勉強のエンジンもかかってきそうな予感である。
英語もしたくなってきた。


将棋は、今日もぼちぼちやって、7級の範囲で上下している。
最近は角換わりの将棋で、大体攻撃パターンとか守備のパターンが把握できてきたために、
いい将棋が出来ることがある。
もちろん一手損角換わりだから、最初に受け将棋になるのだが、それでもいい具合に事が進んでいく。
負けたが、一手損角換わりが板についてきた感じである。


あとは中飛車などを相手にした次第。
詰将棋も数問解きましたか。


900周辺のレートは、あまり750周辺のレートの人間と違わないような気がする。
あくまで時間をかけて、じわじわとレートを上げた結果が900であり、実力の差というのはそれほど
ないのではないかと思う。
むしろ900くらいの人々は将棋に飽いている感じがあり、フレッシュさがない。
非常に重苦しい将棋だなぁと思うのだが、はたしてどうなのだろうか。


おそらく6級にはそのうちになれる。
この辺りで勝ったり負けたりで、教訓というのを増やしていけばそのうちによくなってくるはずである。
中飛車によく負けるから、中飛車に対しての教訓もたまってきてはいるが、
まだまだ勝てるまでにはいかない。
教訓というよりも課題といった方が正しい。


レート上げというのは、なんだか地道な作業である。
初段も案外近いのではないか。
普通に棋書読んで、詰将棋解いて、NHK杯でも見とけば、初段くらいにはなれるはず。


しかし、将棋もよいけど、せっかく大学にいるなら理工系の勉強を優先したい。
多分勉強できる機会など、これからあまりなくなるだろうし、
たとえそれが社会的に全てが無用の用に終わったとしても、良い思い出になるはずである。
昔はこの大学でいくら勉強しても何にもなれないと思っていたが、
最近は何かになるために勉強するのではなくて、勉強が楽しいから勉強するのだと思い始めた。


誰にどう思われようが、好きな勉強はしておいた方がよいはずである。