ようこそ量子

ようこそ量子 量子コンピュータはなぜ注目されているのか (丸善ライブラリー)

ようこそ量子 量子コンピュータはなぜ注目されているのか (丸善ライブラリー)


出版が2006年だから、私が大学二年になった年に買った本だろう。
今が2011年だから、何年積読状態になっていたのか。(笑)
最近なんだか気になり始めて、読みとおした次第。


午後7時に本でも読みたいなという気分になり、家で読む気にはなれなかったので、
ファミレスに言ってドリンクバーとチーズケーキを注文して、
マールボロをふかしながら読んだ。


最近のファミレスは、健康推進条例かなにかで喫煙席を減らし、非喫煙席を増やしている。
喫煙席は頭がおかしそうな人間ばかりである。
一人で来ていた、海風に吹かれて塩化したような山姥みたいな婆さんが
しきりに「すみません、すみません」と大きな声で店員を呼ぶ。
何かと思ってみると、吐瀉物にテーブルがまみれている。
「吐いてしまった」と笑顔なのかよくわからない顔で店員に訴える。
大体一人でファミレスに来ていて、本もなしに、ビールと定食を頼んで、
独り言をごにょごにょ唱えているとは、なんと孤独な老後であろう。


そして次に来た、ヤンキー家族が、吐瀉物婆さんが座っていたテーブルに座り、
その中の馬鹿顔の息子が私の方を見てみら見つけてきたので、読書中とはありながらも、
にらみ返してやった。
世の中どうなっているんだ・・・。
ここがど田舎だから、とても民度が低いらしい。
私もそういう人間がたむろする中にはいっているわけで、ろくな人間でもあるまい。


そんなことを思いつつも、しかし、この「ようこそ量子」は積読状態がとても長かったものの、
読んでみるとどうしてもっと速く読まなかったのか、と思うほどのよい本であった。


量子コンピュータについて書いた本である。以下、自分のためのメモ。


シュレーディンガーの猫というのは、有名な思考実験である。
放射性の弱い原子は、量子力学的にいえば、放射するかしないかというのを
原理的には決めつけることができない。
これは「量子コヒーレンス」の状態が保たれている場合においてである。
私たち人間が、この原子が放射しているのか、放射しないのか見ようとした瞬間、
(測定しようとした瞬間)
「量子コヒーレンス」の状態が崩れてしまう。
「デコヒーレンス」となるわけである。


それで、シュレーディンガーの猫に関していえば、量子論的には生きているか死んでいるか、
半生半死の猫がいることになるのだが、それを測定しようとしている装置が存在しているため、
その系においては「量子コヒーレンス」の状態が保たれていないで、
半生半死の猫というのは、いないことになるらしい。


現在のコンピュータでは、半導体を利用している。
電子のいくつかがそこにある状態とない状態を、「1」「0」に置き換えている。
それでコンピュータは運用されているのだが、
なるべく電子を少なく、1と0を表したいとなると、最後には電子一つになる。


電子一つになると、ここで不確定性というのが現れてきて、
制御が難しくなる。
量子力学の世界になり、不確定原理よろしくその挙動は確率的にしか予測できなくなる。


これが現行のコンピュータの限界である。
ムーアの法則では、何年にどれくらい小型化が進むというが、(ムーアの法則はもう古いか?)
小型化の極みには、「電子一つで1と0を表す」という原理的な限界にぶち当たり、
そこは量子力学的解釈によってしか踏み込めない世界になる。


だったら、そこで不確定性が現れて現行のコンピュータの原理が座礁してしまうなら、
その不確定性をも利用して、さらに強力なコンピュータを実現しようというのが
どうやら「量子コンピュータ」のお話らしい。


それで、この「量子コヒーレンス」というのは、とても維持するのが難しい系なのである。
簡単に言えば、観測しようとすると、動かなくなってしまう。
つまりは計算を終えるまでは誰からも見られないように放置してください、という我儘な奴なのである。
鶴の恩返しみたいなお話である。


それでこの「量子コヒーレンス」の状態を崩さないまま、電子を制御しようというために、
物性的にも、情報科学的にも、システムを組まないと量子コンピュータは実現しないために、
その材料と、そのための情報通信技術を探しているというわけである。


あとは「量子」というのは、概念らしい。
つまりは「量子」というものは存在しない。
私たち人間が、「量子」的に対象を見ているだけのことである。
黒体放射は、古典物理の概念では説明がつかなかった。
だからあの頃の物理学者は「量子」という「概念」を用いてそれを説明した。
つまりは「量子」というのは、人間がある対象を見るための方策であり、
だったらその「量子的な見方」というのを、情報にも応用できるのではないかということである。


これが2006年に出版されたのだから、今はもう少し進んでいるのだろう。
私もそういう研究に飛び込みたいが・・・。
とりあえずは今の大学をパスして、どこかに潜り込めたら・・・。


丸善というのはよい本を出すのかな。
専門書でもよく聞く出版社だが。
丸善ライブラリーは、他になにか出版しているのか。
近頃の新書がロクでもないのに比べて、丸善ライブラリーの新書はまだ生きているのかもしれない。


それにしてもファミレスでは、携帯音楽プレーヤーでクラシックを聴きながらというのが必須である。
周囲が猛烈にうるさいし、下品だから。
おまけに私も下品だから清めなければならない。