貸家に戻る


一週間ほど実家に帰宅して、貸家に戻る。
実家に戻る前は、たびたびの留年の報告に行くわけで、非常に嫌だったのだが、
滞在すればやはり生活しやすいのである。
貸家よりも広いし、母親の作るご飯もおいしい。


高校時代、というよりも受験の頃、あの家で生活するのがよいとは思わなかった。
ぎゃーぎゃー母親に成績のことで怒鳴られるし、その時学校の人間関係など
崩壊していた頃なので、私は非常にいらだっていて、その生活自体が良いものだと思わなかった。
背中にはストレスで発疹が出ていたし、もうどうしようもない気分であった。
受験が終わって、今の冴えない地方国立へ。


大学2年生から本格的に専門科目が始まって、私は嫌で嫌で仕方がなかった。
「こんなに勉強させられるのなら、受験勉強頑張ったほうがましではないか」
そう思って、学校から逃亡した。
当時の私は、地方国立の工学部で偏差値や将来所属する企業のランクなど無関係に、
がりがり勉強させられるわけで、これは「どなたかの陰謀だ」と思った。
要するにこれは奴隷体質を作るようなものなのではないかと思った。
成績の関係だけで、なんの愛着もない大学に嫌気がさした。
「つまらない量産型エンジニア」をたくさん作る国家機関だと思った。
私はその「つまらない量産型エンジニア」の一人になるのが嫌だった。


妹は私よりもランクの高い大学に行き、私よりもできの悪い高校の同期も、
浪人して私よりも良い大学にいった。
私はいらいらした。自分の無能と不遇を嘆いた。
勉強に気持ちがまったくのらない。「くだらない」という気持ちだけが先に出る。
生活はどんどん荒れた。学校などもはや生活の一部にも入らなくなった。
大学にはなんの気持ちもいれないで、勉強することに決めた。
まるでロボットのように学校に通うことにした。
単位は取れたが空しさだけが残った。こんなことをなぜしないといけないのか。
馬鹿らしい。そしてまた大学に行かなくなった。


周囲の馬鹿面の底辺地方国立大学の工学部生を見ていると、むかむかした。
冴えない大学生だらけで、それがもし自分自身の鏡なのだとしたらと思うと、
大学に行くのも嫌になった。
「つまらない、つまらない、糞みたいな大学だ」
そう思い続けるわけである。


そんなこんなで、大学コンプレックスと自己嫌悪で「大学を卒業するなら8年」
というのが決定したのである。


親とはずっと喧嘩続きだった。
母親などは最初は私が大学の単位を取らないのをギャーギャーいっていたが、
もやはその元気もなくなったようである。
私もずっと「こんなくだらない大学にいるなら、勉強なんてしない方がましだ」
なんて思い続けた。
少し調べ物があったり、宿題があったり、レポートがあったりするとイライラした。
なんでこんなことをやらないといけないのか。


そんな気持ちで数年過ごして、気持ちを向けようとした時もあった。
それでもなかなか気持ちは向かなくて、怠惰な時間だけがだらだらと過ぎていった。
気付いてみれば大学卒業するとしたら+4が決定していた。
今年気持ちが向かなければ卒業さえ危ういだろう。
卒業しないのであれば、無駄に人生の7年を浪費したことになる。
人生80年程度のところを、一番大切な20代を底辺国立大学の工学部で無為に過ごしたことになる。
糞みたいな人生だ。
どこから狂ったんだ。
そうやってどんどん自分の人生に愛着を感じなくなっていく。
すでにどうでもよくなるのである。
もともと糞だったんだ。アホらしい。


そうやってもう何年も3年生をして、実験に出るのも嫌になる。
そもそも学校に通うこと自体が苦痛なのである。
新しい2年のアホ顔を実験の時に見るのが苦痛である。
私が2年の頃、こんなにアホ顔していたのか、と思うとさらに自己嫌悪に陥る。
「ああ・・・救いようのない糞大学だ」
そういいながら、他に行くところもないし、友人も対していないので、だらだら「通っているふり」をする。


実家に帰った時に、「悪人」という映画化された小説の文庫本があったので、
それを読んでいた。
「どこかに行きたい場所もないし、だれか会いたい人間もいない」
そういう一文が出てきた。
大いに私はうなづいた。
大学にも愛着などもてない。友人もろくにいない。趣味もろくにない。
そういう人間は、「この地球上にどこにも行きたい場所なんてなく、会いたい人間もいない」
という絶対的な孤独のなかに陥るのである。
大学のランクで勝っただ、負けただといって、家族でさえ「会いたい人間」にはならない。
おまけに自己嫌悪ばかりがつのる生活である。


馬鹿みたいに留年を繰り返す私を見る親も変わった。
最初は叱咤していたが、もはや怒る気力もないようである。
「扱いづらい人間」として私を扱っているのが分かる。
「こいつを叱咤しても、余計にやる気をなくすだけだ」と思っている。
母親などはもはやこれほど落ちぶれた息子に、どんな言葉をかければよいのかわからないようである。


「どこかに行きたい場所もなく、だれかいあいたい人間もいない」という状態は、
高校時代から気配があったのであるが、
ここまで深刻化してくると、「一体どこから私の人生はおかしくなったのか」と思う。
昔は家族と笑顔で話していた。
今はあまりそういうことがない。
四六時中私が鬱屈しているからである。
そうやってどんどん泥沼にはまっている自分が分かる。
そして周囲の家族を巻き込んでいるのもわかる。


実家にいて、また借家に帰るとき、なんだか涙が出てきた。
なんで人生がこんな風になったのか。
高校時代からそういう性格的要素というのは持っていたが、今はかなり顕在化している。
「どいつもこいつも嫌いだ」という風になる。
「なにもかも、どいつもこいつも、まったく気に入らない」
挙句の果てに、時間の過ぎ去り方も嫌になる。
寝ているのが一番幸せになってくる。


実家に帰ると、することがない。カフェに本を読みに行く。
それでも私の周りを辛い気持が付きまとう。
「自分が不幸なのではないか」という気持ちが付きまとう。
周りの中の良さそうなカップル、仕事の文書に目を通しているビジネスマン。
自分があるべきように生きている人間は幸せな気持ちになっている。
一方でトイレにいって、自分の顔を見てみる。
大学に入る頃より随分老けた。希望のないような目と、
それから自分さえも自分を見はなしたような顔。
昔は少しばかりモテたのにな、と思いつつ太って冴えない人間になった自分をみる。
そうすると嫌気がさしてくる。
歳をとるたびに父親に似てくるような気がする。
しかし父親は美系ではない。
そうなるとまたまた自分自身に嫌気がさしてくる。


そういう自分に気付いたとき、「涙」が出てきたわけである。
どうして「こんな風になったのか」。
一番は、「希望」というのを持たなかったからだろう。
同じ「冴えない底辺国立大学の工学部」の学生でも、なぜか幸せそうに暮らしている人間がいるのである。
もちろん自己嫌悪にとらわれることもあっただろう。
しかし、なんとか嫌気ばかりさす人生にはすまいと、踏ん張る人間がいる。
そうすると、不思議と「幸せそう」なオーラが出てくるらしい。


「涙」を流したときに思ったのは、昔はこんなに家族との関係も悪くなかったし、
この世界とも多少たりとも折り合っていたように思う。
それがいつの間にか随分とずれてしまって、
今では「どこにも行きたい場所がないし、会いたい人間もいない」という状況になっている。
毎日イライラと過ごすわけである。
救いようのない日々である。
「なんでこんな風になってしまったのか」そう思ったのである。


とりあえず、一番気をつけるのは、日々の生活ではないかと思う。
だらだらと過ごすのではなくて、きちんと部屋を掃除して、食事をして、
生理的にだけでも快適に過ごす努力をすることである。
近くに良い公園があるのだから、ランニングもして身体も動かす。
そういう基本的なことから初めて、まずは自分を幸せにすることから始めたらどうかと思った次第である。
それと家族をこれ以上、私の不幸せに巻き込まないこと、悲しませないこと。


そう思うと、ぼちぼち勉強しようかとも思い始めたのである。
あまり不幸せばかり相手をしていると、周囲にいる人間(家族など)も
不幸せにしてしまうらしい。
このどん底からなんとか抜け出さないとなぁと、思い至った。
学歴コンプレックスなどであんなに「家族」というものが嫌だったのに、
実家で「おいしいご飯」など振る舞ってもらうと、なんだか気持ちが変わるのである。
人と人とは間違いなく支え合って生きている・・・。
よほどの強い個体でないと、一人で生きていくなんて難しいだろう。


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暗い話題なので、話を将棋に変えよう。
実家にいて暇だったので、矢倉の基本先方の一部を理解して、
継続的に指していた。
最初に将棋24でやった戦法は、基本的な「棒銀」だが、
13級あたりで「棒銀」で勝てなくなって、「ツノ銀」をどこかのホームページで見て実践。
その「ツノ銀」も10級を超すと勝てなくなった。
だから先崎学氏の「ほんとに勝てる穴熊」を読んで、
ぼちぼち勉強して「穴熊」を指したわけであるが、最初は勝てて、
レートも10級でふらふらしていたが、急に急降下した。
300程度まで下がったところで、「穴熊」は難しいんだとさとり、
基本的な戦法である「矢倉」を使い始めて今に至る。
300まで下がったレートは500まで回復した。
相矢倉になればよい感じで戦える。
しかし、石田流が苦手であり、矢倉を中心にして指し初めてから、
結構石田流には負けるので、対策とネットで探すと、羽生氏vs鈴木氏の一局があり、
それを調べてみようと思う次第である。
いまは石田流と馬鹿みたいな中飛車でこられるのが苦手である。


帰りに本を二冊買った。
線形代数の本と、ハイゼンベルグみすず書房の高い本。


線形代数 (理工系の基礎数学 2)

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部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話

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昔みたいに、「勉強が糞」だとは思わなくなった。
せめて物理と英語と数学だけでも、まともにできるようになろう。
そうなりたいと思っている。
毎日気持ちだけは快活に生きることが大切である。