帰省(おもに将棋をして暮らしている)

帰省しているのでなかなかブログが書けない。
書いているところを見られて、何を書いているのかと聞かれれば
非常に困るからである。


日々の生活としては、将棋(矢倉)の本を読んだり、喫茶店に行って、
物理学者パウリの伝記を読んだりしている。


矢倉の話をしよう。
「矢倉をマスター」を読んでいて、大半読んでしまった。
守り駒、攻め駒という概念をこの本で学んだのは、非常に大きいですね。
守り駒に何枚使い、攻め駒に何枚使うか。
守り駒で責めるというのは、原則的にはやはりおかしい。
そういうことを考えると、多少バランスというのがわかってくる。


それで大半読んでしまったので、実践である。
「すきあらば穴熊」という言葉が「矢倉をマスター」に紹介されていた。
矢倉から穴熊に組み替えるというのも出来ないことはないのである。
むしろ簡単である。(暇があれば)
暇になったら穴熊にすればよい。
相手が長期戦を狙ってきたら、穴熊に変形するのである。
この方法で今日は一線戦ったが、みごと勝利を挙げた。
矢倉から穴熊というバックアップ作戦があれば、持久戦になっても強い。
穴熊のさばき方というのは、「ホントに勝てる穴熊」で多少学んだので、
多少はできるのである。穴熊に組み替えるのは、最初から穴熊狙いで行くよりも、
よい感じの試合運びになる。穴熊というのは、組めたら組むもので、
最初から無理やり組むものではないのだろう。
だから連敗を重ねたわけである。
そもそも居飛車穴熊などそうそう組ませてもらえない。
「すきあらば穴熊」であって、隙がなければ穴熊はやめたほうがよい。
矢倉が標準的である。


それで、「矢倉をマスター」を大半読んで、基本的なことはわかった。
というよりこの本は、著者が局面を紹介するというのが多くて、
先崎氏の著書のようにガンガンと指導してくる感じの本ではない。
「こう打ちなさい」とは言ってこない本である。
そういう本もあってもよいかと思うが、最後のほうはほぼ自戦記で
愚痴まで書かれているので、どうでもよかったりする。
自戦記の二番目にある棋譜は、あんまりにひどい負け方である。
あの棋譜を見て考えようとはあまり思わない・・・。
しかし、この本に書いてある基本、「攻め駒」「守り駒」と分類して、局面を見たり、
バランスをとったりするのは非常に役に立つ。
「ポイントを取る」という用語も理解した。
自軍の攻め駒と相手の守り駒の交換は、自軍にポイントが来る。
そういうポイントを積み重ねて、勝利にたどりつくわけである。


ただ「矢倉をマスター」は、入門者用の「矢倉概論」のようなもので、
いろいろな言葉を幅広く紹介していたり、
基本になる大切な考え方を紹介してはいるが、(だから読んでも損はない)
実践的な棋譜を教えてくれない、というのが欠点である。
だからもう一つ矢倉の本を買いました。
森内氏の「矢倉の急所」という本です。


動画サイトで森内氏と鈴木氏の一局をみる。
攻め駒と守り駒の原理を知り尽くしていて、原理を運用して、
型にはまらないきれいな囲いを作っていく。
私が見た一局では、鈴木氏に圧勝であった。


矢倉を勉強して、将棋24を指しているのだが、
レートが「馬鹿穴熊」をして300まで下がったのが、
450まで戻ってきた。
矢倉という作戦がシンプルなのと、そもそも最初から穴熊に組もうというのは
なかなか難しい。最初から穴熊に組んでいるとばれるのである。
だから速攻をくらう。
そうではなくて、矢倉にして局面が落ち着いたらそれから矢倉でかこう。
そのほうが勝率は上がる。
穴熊は組めたら強いが、なかなか組ませてもらえるものではない。


「矢倉の急所」では、4六銀・3七桂型の基本的な攻撃の方を学んだ。
昨日のNHK杯で「羽生vs渡辺」があったが、
あれも矢倉線になって、4六銀・3七桂型で羽生さんが攻めきって勝っていた。


最近は、カフェで街を行きかう人間を眺めて、たばこを吸いながら本を読んだりしている。
都会は人がたくさんいるけれど、街を歩いていると孤独を感じる。
高校時代から実家がある街から感じるのはそういうことであった。
たくさん人がいてものがあると孤独を感じる。
周りが賑やかでない大学のある田舎にいくと、大して孤独を感じない。
どうしてだろう。


137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯

137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯

矢倉の急所―4六銀・3七桂型 (最強将棋21)

矢倉の急所―4六銀・3七桂型 (最強将棋21)


パウリの本を読んでいると、パウリが神秘主義ユングと仲が良かったことが分かるが、
科学がそもそもその源流を錬金術という神秘主義の象徴に根ざしているもので、
現代のような「冷たい科学」のようなものではなかった。
錬金術はとても人間の行為として象徴的なものである。
いま学校で習っている工学は、あまり「神秘主義」的なところがないが、
(なにせ量産型エンジニアを製造するところだから)
私はその部分を大切にして、工学をしたいと思った。