勉強になっている

今日は、準備が確実に間に合わないのでゼミの担当者にメールをして、延期してもらった。
相変わらず、実験レポートに間に合わない自分と変わっていないようだ。
一応、昨日はほぼ徹夜してみたのだが、まったくらちが明かなかった。
そもそも基本の教科書に載っていない・・・。
どうすればよいのか、まったくもって私が阿呆なのか。
ふとこれまでのゼミを思い返すと、どれも教科書にもろにのってるやん、とぶつくさ文句を言って、
とはいいながらも、もう日付は過ぎたから昨日と呼ぶ日は、授業で朝から晩まで詰まっていたので、
仕方がなく、数時間の睡眠をとった。


朝の授業に出て、それからゼミの担当者に延期の件について話してみた。
とりあえず、何とかするから次の期限には間に合わせてくれ、ということ。
私の担当の先輩に、トラ技読んで、教科書読んで、ネットあさって、図書館あさったけど、確定的なものがない、
自分の中で消化できていないし、なかなか難しいということを伝えた。
それで、一人の力では無理だと理解したので、アドバイス等もらえないかと頼んだら、案外すんなり通って、
今は人づてで準備を進めている。


授業が終わった後に、実験室を案内してくれた別の先輩がいたが、彼の話の中にいろいろヒントがあった。
彼は私たち学部生に異常に親切であるけど、どうやらそれは近い将来教えてもらうためのようである。
たくさん会話して、質問を繰り返しながら知識を得ていったようだ。
もちろん文書も読むけれど、そうはいっても文書だけ読んでもわからない部分というのはどうしてもあり、
その部分は、会話で質問をすることによって補填する。
ほかにもいろいろおしゃべりして教えてくれたけど、どうやらそういうことはとてつもなく大切らしい。
そもそも研究室という場自体が、人が寄り集まっている場所で、技術を伝え合っている場所なのだから、
一人で閉じこもって、ソフトの使い方わからない、書籍当たってわからない、という私のやり方は、
ある一面では正しいのだけど、それがすべてではないのを漸く理解した。


小さなプライドを守ろうとして、なんだか縮んでいたけど、それはどうやら間違いらしい。
実験室では二人の先輩と話したけど、随分大人だ。
私の場合、居着いている精神状態だから、うまく反応できないのである。
そこを超えていかないといけないし、それがわかっただけでも、今日は収穫だろう。
当然といえば当然なのだけど、身をもってわからないと私はなかなかわからない。


この研究室はとてもまじめな人が多くて、精神のひねくれた私は参ってしまいそうな時がやはりあるのだが、
しかしながら、わからないことを追及して、それを言葉にして、他者と質疑応答を繰り返すことにより、
疑問点を解消していくというのは、学問の基本的な部分でギリシアのころから変わらないはずなのに、
私は妙に縮こまっていたので、その中に紛れ込めないでいたのである。
願わくば、この先も居着かないように・・・。
この研究室の人を見ていて、多くの人は親切だし、心が開いていて知識を吸収しやすい精神状態を作り上げていて、
真似しないといけない部分である。


研究室が始まって数か月たって、最初の緊張が途切れて、かなり迷走していた自分がいたけど、
しかし漸く方針が見えてきたようだ。精神のありようについて変更をかけることになるだろう。
小さなプライドというのを守っている暇はない。そんなことをしていたら、足枷になるだろう。


随分、研究室というものに対してどう接したらよいかわからない時期がここ一か月ほどあったけど、結論が出た。
周りの優秀な人の真似をすればよいのである。
そのままというわけにはいかないけど、ある程度なら真似もできる。
研究室で初めて過ごす一年の1/4くらいは過ぎ、そろそろ研究室での次のステップが来るわけだけど、
その契機として、よい結論に到達したとは思う。
当たり前のことだけど、身をもって体感した。