久々に読書

J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)

J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)


家にいても本なんて読まないでだらだらするので、海辺のファミレスにいって読んできた。
本当に久々の読書な感じ。海も久々にみた。


今は物理学のドグマからの脱出について読んでいる。
自明の定義から始めよ、というデカルト的な方法は、例えばユークリッド幾何学ニュートン力学が典型的な例であり、
物理学においてはこのニュートン力学が理想的なモデルとされる伝統がニュートン以来出現した。
しかしながら、量子論の誕生により、「自明な定義」というのはできない。
人間の直感に反するものを基礎において体系を構築していくわけで、これがドグマからの脱出らしい。
ゆえに物理学というのは、ドグマから脱出したゆえに、非常に色々なものを扱おうとする学問になったらしい。


また、物理学は質量、エネルギーという自然に限定して用いられていたが、「情報」もその範囲に含めようではないか、
ということになり、情報物理学を生み出そうという時代だったようである。
情報物理学なんて授業でも聞いたことないけど、物理学科の人はやるのかもしれない。
エントロピー統計力学や熱力学で用いられる概念であるが、どうやらこのエントロピーと情報は密接のようである。
確率だの統計だのという概念と「情報」は密接であるらしい。


それで、この「情報」というものを物理学にどう入れるか、ということはどう定義するか、ということと同義であり、
湯川氏が梅棹氏に、どう定義したらよいのか、とズバッと聞いていた。
梅棹氏は生物学をやってから生態学をベースに民俗学にも手を出した方で、
「物理学において情報という概念をどう定義し組み込むか」なんて、
専門外も甚だしい質問であり、私であれば臆するような質問であるが、
しかしながら、なんだかそれっぽく答えていた。
私にはあまりピンとこない説明ではあった。


そんな本をつらつらと読んでいる。そろそろ卒業式らしく、コンパの連絡がきた。
一応、卒業旅行に一緒にいった連中も行くようなので、出席。
出会いと別れの季節で、何かが変わらざるを得ない。だから非常に不安な気持ちでいっぱいである。


関係ないけど、最近鏡を見て思うのは、老けてきたなぁとダイエットしないとなぁである。
あと「画策」というのは「かくさく」と読んでくれ、お願いだから「がさく」なんて読まないで。