将棋なんかの調子を書いてみたり

最近は将棋24などをぼちぼちやっているが、自分がどういう時に調子が悪くなって、
どういう時に調子がよくなるのか、多少分かったような気がする。


現在レートは中級上位と上級下位の往復である。中級に落ちることはまれながら、しかしたまにある。
さすがにレート1000は切らないのだが、最高レートは1400であるのに、そこから随分下がってしまったことは確かである。
何が原因か。逆に、あの頃の私はどうしてかっていたのか。
また、たまに連勝するときもあるが、それは何が原因なのか。


一つに「形にこだわりすぎないこと」というのがあると思う。
一応居飛車で指している私は、対居飛車では角換わりに誘導したいし、対振り飛車では穴熊をしたい。
ずっと「相居飛車は角換わり、対振り飛車居飛車穴熊」というのが主戦法だといってきたけど、
これには限界がある。というのも、決まり切った形ばかりしていると、なぜだか勝てなくなる。
飽きもあるのだろうが、毎回、状況を見ないで、居飛車穴熊にしてみたり、無理やり角換わりにしてみたりすることによって、
とにかく自分本位に指しすぎている。
そこを、相手の陣形をよく見て、戦法を選ぶのである。


最近の事例では、私は矢倉はできないのだが、相手が矢倉戦を仕掛けてきたとき、右玉というのをやっている。
別に私のほうは矢倉を組むわけではないが、地下鉄飛車で一気に四間に振って、
矢倉囲いのとなりの薄いほうを狙う。
要するに、変則的な振り飛車なのであるが、これをすると結構勝てるのですな。
右玉とか、振り飛車とか私は嫌いだったのであるが、しかし相手の陣形をよく見て、それに合わせて作戦勝ちできれば、
最後までタコ殴り状態で勝てるのである。
矢倉戦での右玉地下鉄飛車は、案外捌くのも容易だし、玉頭からの桂跳ねもあるので、戦闘力は高いのである。
守備は、玉頭の桂馬を跳ねたりするとかなり薄くなるのだが、一時的に猛攻を仕掛けて、
それが相手玉を脅かすに至れば、ぼちぼち勝機が見えてくる。
純粋な振り飛車は全くしないのだが、相居飛車戦風に振り飛車が味わえて、なるほど振り飛車はこんな感じなのかと思ったり。
変則振り飛車だと滅多に居飛車穴熊にも出会わないし、矢倉から穴熊に組み替えるのもないことはないが、
それでも手数がかかるし、通常の居飛車穴熊よりは守備力も劣る。
矢倉に組ませて、こちらは地下鉄飛車で四間に振って攻めつぶす。
これができると結構痛快である。


戦型を限定していると、どうにもレートも上がらない状態になるようだ。
そこはかとなく、相手の陣形を見ながら、それに合わせて手を考えていくべきだ。
確かに、見たこともない変化なんてよくでてくるわけだけど、その新しい体験というのを拒んでいると、
伸び悩んでしまうのだなぁと思う。
「コテコテの居飛車党」を目指すつもりだったけど、「臨機応変居飛車党よりのオールラウンダー」のほうが
勝率上がるし、楽しいかもしれない。負けることを恐れるな、というチャレンジ精神を持っていたほうが上達は早いだろう。
目標は多分変更された。今日は矢倉戦には右玉振り飛車を多用して、ほとんど「変態流」のようになっていたが、
(本家とはえらいレベルの違いだけど、これ以外表現しにくいので)
こういうぱっと思いついた陣形で戦うのもまた乙なものではないかと思う。
むしろ、こういう風にイマジネーションに頼った力戦を経験することによって、地の力というのは上がると思う。
「なんでもやったるぞ」という姿勢のほうが伸びる。これは将棋だけにとどまらないだろう。
リアルの世界でも力戦派になったほうが生きやすいだろうなぁ。


目標変更。「臨機応変・融通無碍な居飛車党よりの力戦派(右玉地下鉄飛車も辞さない)」。
イメージとしては、いろんな体勢から相手があまり経験していないパンチを放つボクサー。
融通無碍、変幻自在ボクサー。
ただ、相手のミス待ちの右玉だけはやらない。やるやついるけど反吐がでる。
右玉地下鉄飛車やるなら、積極的に相手の薄い陣形を鋭くとがめる積極派。


そういえば、明日は電王戦。どんな結果になるのか楽しみだ。
しかし、将棋から学ぶこともまだまだたくさんあるだろう。


「融通無碍」っていい言葉だと最近思う。一昔前の私には好みではない言葉であるが。
「融通無碍」をネットで調べてみたら、用例が面白い。


 無理な手を指しても融通無碍に軽くさばくのが坂田将棋の本領だという自信の方が強かったのだ。 (織田作之助『聴雨』)


坂田氏は融通無碍な軽い捌きが武器だったのか。というより「聴雨」という本が気になる。
将棋観戦記か何かだろうか。


聴雨・蛍―織田作之助短篇集 (ちくま文庫)

聴雨・蛍―織田作之助短篇集 (ちくま文庫)