抱負

さて、このブログを書き始めて10カ月。
最初は将棋のブログとして書いていたけど、最近はめっきり将棋ネタを書かなくなった。
あの頃は精神的なリハビリのために将棋をしていたから、書くことが将棋だったのである。
最近はどちらかというと日常ネタとそれから日々の愚痴を書きつづっているように思う。
あとはメモして記憶しておきたいことを書いたり。
将棋についてあまり書かなくなったのは、状況が変わらないからである。
それに、低級のころは将棋の記事を勘違いを交えながら(ほとんど勘違いだけど)書いていたけど、
書くことが恐れ多い、という感じがし始めて書かなくなった。
低級の頃なんてひどくて、棒銀が通用しないから、中飛車にして棒銀をしよう、というようなことを低級時代に書いていて、
このお馬鹿は誰だという気持ちになった。
中飛車といっても、ゴキゲン中飛車でもなく、ただ飛車を真ん中に振って、棒銀をするという初心者中飛車で、
おまけにそこから美嚢囲いにするわけでもなく、居玉棒銀中飛車なのだから、読んでいて恥ずかしい限りである。
将棋について、その頃よりははるかに分かっていると思うけれど、とはいっても昔の自分と比べての話であり、
今ははたして何が正しいのか、さっぱりわからない状態。
今日も指したけど、矢倉を組んでくる相手に対して、角換わり含みの右四間をするのだが、これが全く通用しない。
だから矢倉を組んでくる相手には、矢倉で対抗したほうが分がいいと思うのだが、矢倉は面倒くさいのである。
あとは横歩取りも覚えたいが、なんとなくそういう気持ちにならない。
矢倉と横歩を勉強できたら、随分私のへんてこ居飛車の将棋の幅も広がるだろうけど、
いまだ居飛車穴熊と角換わりが主戦法なのだから、レートが頭打ちである。
とりあえず矢倉と横歩を練習したら、それなりにレートが上がる可能性もあると思うのだが、
それができないとおそらく初段にはなれないように思う。
だから最高レート1400を記録したのちには、苦戦を強いられている。
しかし昨年二月頃の書き込みを見ると、レート200とか400で苦戦している、というような書き込みがあるから、
棋力は昨年でぐーんと上がったと思うのだが、一方で初段が遠いということを自覚している。
一年で初段に上がって、自己肯定の材料にしようなどということを、少なくとも今年の夏まで考えていたけど、
ここまで来て、自分の周囲の状況を見て断言するが、一年で初段は確実に無理だ。
将棋をする時間がとれたら、二年くらいで行けるだろうが、現時点では初段昇給の目途はたっていない。
2級で大分苦しい。
将棋の話はもうこれくらいでいいだろう。


昨年はどういう年だったかといえば、ほとんどの日々をだらだらと過ごしたように思う。(笑)
多少、フーリエ解析だのベクトル解析だの、電磁気学を勉強した気がするが、
自分の思い通りになにか進んでいるかどうかと考えると、全く進んでいない。
学期の初めにいろいろ目標立てたけど、実験がつらすぎてそんなことできなかったし、
どこか違う大学院へ、というのも望み薄というところである。(考えていないしなぁ)


昨年の今頃は、とにかくなんとか進級して、春休みに勉強して、他の大学院に飛び出るぜ、なんて
正月から意気揚々に自分がしたい勉強をしていたように思うが、今年も実験レポートがあるために、
そんなこともできないし、とりあえずは進級することを目標にやろうと思ってはいるのだが、
それにしてもコントローラブルかといえば全くそうではなく、もうなるように身を任せて、あまり疲れるようなことはしない、
というような流浪の精神状態であり、これが良い方向に流れるのか、あるいは悪い方向に流れるのかさえ分からない。


数学だの物理だの英語だの勉強して、良い大学院に行って、博士まで行って企業なんかでは働かない、
というような無邪気な夢を掲げていた昨年とは、なんだか状況が違いすぎる。
とりあえずは実験レポート。それだけ。


レポートを書くとき、自分の心をよく見て、嫌だなという気持ちが浮かびあがったら、それを認め処理し、
さらにレポートを書いていくという、私にとっては嫌な作業をしなければならない。
そろそろデッドライン。


大学で、数学と物理と英語だけしていればよいのなら、もっと面白いとこだと思うのだが、
こういう風に、つまらない雑務のような実験レポートに付き合わされるのは昔は本当に嫌だったのだが、
この期に及んで、そういう気持ちにはならないし、もうどうでもよい話だ。
研究室も物性分野に進んで、自分なりに研究したいと強く思っていたけど、
どちらかというと世俗に密接な、制御とか強電とか、そういう研究室を選ぼうだの思っている。
もう、これもどうでもいい。


あまり自分の意見に固執しないで、流されるように今年はやろう。
いろいろなものに挑戦して、いろいろなものを見よう。
今までが物事に固執しすぎたのだと思う。自分の思ったように生きたかったし、自分の思ったような勉強がしたかった。
それでももう限界のように思う。
世の中の流れに、流される。多くの人と知り合う。多くのものを見る。
こういう生き方が昔は大嫌いだった。つまらないからだ。
一つの物事をとことん極めて、何かしたい、というような気持ちがこれまで私の中では支配的だったが、
そういうのはそろそろ限界・・・。


この先に、何があるのか、自分でもわからない。
ただ流されて、辿りついた場所が私の居場所になるだろう。
そんな年になるのかな。ひどくつまらないと怒鳴り出す自分もいるけど、一方でそういう生き方の先に、
これまで自分が見なかった何かがあるのではないかと思ったりもする。
まさに何も考えていないけど、しかし一方で、私をどこかに追いやろうという風だけが吹いている変な年。
どこに行くのかは、全く分からない。私の望むところに行くのか、それとも望まないところに行くのか。
とにかく、この場所にいることは許されないという外圧だけが私を動かし、(だって進級か退学だから)
それにどんぶらこ、どんぶらこと乗せられて、急流でも下っているような自分がイメージできる。
そういう年になるだろうと思う。
だから別に先のことは考えていない。目の前のことくらいしか・・・。


それでもそのあとに、私が望むような、あるいは私好みのなにかに挑戦できたりするのではないか、という予感もする。


あれじゃないといけない、これじゃないといけない、というのが立て続けに壊れた昨年。
(少なくとも自分の中のこだわりが4つくらいは打ち砕かれたし打ち砕いた。
 それが随分私の人生を制限して、私の精神はぎすぎすしていたかもしれない)
こだわりというのが崩壊した。
これがよい方向に向かうのか、悪い方向に向かうのか。どうなる、今年。



最近は多少、このブログを読んでくだすっている人も数人だがおられるようであるが、
私は喪中なので、新年を祝うような言葉をかけることはできないけれど、
読んでくだすってありがとうございます。コメントなど頂けると励みになります。