人間は一人では死ねない

様態が急変して他界した祖父の葬儀に行った。
自我が芽生えてからは、初めての葬儀であった。
ある一人の人間の死というのが、一体どういう意味を持つのか、葬儀の様子を見ているだけで少しばかり分かった。


月並みながら「人間は一人では死ねない」。


私の祖父は無口なタイプの人だったから、子供の頃の私はなかなかしゃべりかけることができなかった。
どちらかというと気が難しい印象で、私は子供ながらに多少ビビっていた。
でも夏祭りに一緒に行った思い出や、山の畑に夏に一緒に行って、トウモロコシを一緒に取ったり、
トマトを冷やして食べたり、一緒にお風呂に入って上がる前にタオルで拭かれるのが多少痛かったり、
御経を読まれている最中に、やはり祖父との思い出がフラッシュバックしてしまうのである。
祖父とそんなことをしていた時代、私はまだ純粋な子供だった。
本当に汚れのない子供だったと思う。周囲の人間に守られていたからだ。


そして今の自分を見れば、あの頃と随分変わってしまったなぁと思う。
祖父について山に登って、畑でトウモロコシを取っていた頃の自分とは、天と地の差ほど劣化していると思った。
私は「有能か、無能か」というような大学受験以来の価値観で歪んでしまったし、
さらには人間関係でも挫折していたため、ひどい人間不信の時代を歩んでいた頃もあった。
(いまも多少それはあるけど)
自己嫌悪に陥り、まったく自分には何の価値もないと自暴自棄になっていた時もあった。
家族でさえも、自分の視界の中から消して、それが自由になることだと勘違いしていた時もあった。


人と人は、別段どちらかが多大な利益をもたらすから、という理由で関係が密接になるわけではない。
巨大な贈り物をするためには、それなりの能力が必要である。
しかし、人は神様ではないし、多くの人間が何のとりえもないから、人を虜にするような贈与はできない。
祖父も別に偉い大学を出ているわけではないし、肉体的な力が他人に比べて強かったわけでもない。
しかし、彼の葬儀では、多くの人間が涙を流し、彼との離別というのを多くの人間が嘆き悲しんだのである。
(私を含めて)


一緒に時間を過ごす、すごくいい気持にさせてあげる力はないけど、でもできる限り優しくしてあげる。
無力な自分がしてあげられることはしてあげる。それがどんなに些細なことであっても。
時には、一緒にいてあげるだけでよい。
私も肉体的に、あるいは知性的に有能ではない。だけど、それはそれなりにできることはある。
どんな些細なことであっても、それは人の心の中に入り込んで、人間関係を作り上げるし、
そうやって些細なこと、できるだけのことの贈与関係によって、人間社会は成り立っている。


祖父の遺影の前でお坊さんが御経を読んだ時、
別に才能が詰まっているわけでもないし、お金がかかっているわけでもない、
些細で日常的なプレゼントの記憶が蘇り、私は涙を流してしまう。
ただこの地球上にある、本当にごくごく普通のトウモロコシを一緒に取って食べるという記憶。
祖父が畑で育てたトウモロコシを一緒に食べる記憶。
最後の別れの時、そんなごくごく日常の些細なプレゼントが頭の中を走馬灯のように駆け巡るわけである。
そうすると、何故だか涙が出てしまう。
こういう記憶、思い出というのは、別段世の中でお金で売り買いされるわけでもないし、
そういう種類の記憶を持っているからといって、誰かにうらやましがられる記憶でもない。
でもそれは本当に大切な記憶なんだと、最後になって気づくのである。
ひどい場合、私のように他者が死を迎えるまで、それに気づかない。
遺影を前にして、御経が読まれて、漸くその重要性が分かる。


日々、おかしな人間の考えた価値基準が、おかしな人間の妄想によって刷り込まれる。
(ありきたりな人間に価値はない、市場が求めているのは結果であり、ブレイクスルーをもたらすことのできる人間だ、
それ以外の人間に何の価値もないし、それ以外人間の人生に何の意味もない)
(学問的に優れた業績や、商業的、あるいはスポーツの世界で成功を収めた人間の人生こそ価値がある)


本当にそうなのか。
ある一定以上の親しい人間が死を迎えたとき、
その人間が何十億の利益をもたらしたから、惜しい人を亡くしたと私たちは涙を流すのか。
その人間が相対性理論のような革命的な偉業を成し遂げたから、惜しい人を亡くしたと涙を流すのか。
おそらく御経が読まれている時、人が本当に思いだすのは、その人と過ごした些細と言ってしまえば些細な記憶。
日常といえば日常というしかないような記憶。
価値という言葉は使いたくないのだが、これらの記憶が突然、自分に取ってあまりに重要なことだったと気づくのである。


私の祖父は、麻雀が好きで、お酒が好きだった。
退職する前は仕事をして、それで家族を養い、同僚と麻雀をしてお酒を飲んだ。
別にどれだけお金を稼いだとか、どれだけの人間を従えただとか、どれだけ社会的地位が高かっただとか、
今の時代にあまりに重要視されすぎている価値観から彼を見れば、まったく些細な人生を送ったとある人はいうかもしれない。
でも、周囲で些細な贈与をしあった人間には、彼の人生の終わりというのがただならぬ出来事になるのである。
一緒にお酒を飲んだ同僚、後輩は弔辞を読んだが、本当に些細なお酒の酌み交わしを語り、
その記憶を思い出して、やはり泣いてしまうのである。
いつの間にか、その思い出がとてつもなく貴重だったということに気づくからである。
小さな小さな、できるだけのことをした人間同士は、お互いに笑いあうことのできる関係を築き上げた人間同士は、
その瞬間に俗な価値観で計ることのできないような意味を持ち始める。
お互いの人生が、些細な出来事によって強く惹きつけあう。
ただ、お酒を飲んで、毎日麻雀をした、というだけで。


かつての同僚とか、先輩とか後輩とか、そういう人間が弔辞を読み上げてくれる人間は幸せである。
子供が孫を産み、その孫にその死を通して教えることがある人間は幸せである。
些細な記憶が絡み合って、お互いにネットワークできている人間というのは幸せである。
原子化されて、自分の能力とか財力しか信頼できない人間は不幸である。
というより、原子化されていれば、自分の能力を向上させることも、財産を蓄えることもおそらくできない。
人間のネットワークから疎外された人間には、そういうことはできない。
そのネットワークに入るための、たったひとつ必要なこと。
相手のことをきちんと考えて、自分ができるどんな些細な贈り物を相手にしてあげること。
それはただ裏表のない笑顔であいさつをする、というだけで十分足りる。
別に金銀財宝は必要ない。
逆に金銀財宝を相手に贈ることでしか、関係を築けない人間は不幸かもしれない。
千と千尋の神隠し」にでてきた、「カオナシ」が不幸なのと同じことである。
彼は金銀財宝を相手に送りつけることでしか、人間と関わることができない。
彼を囲んで、多くの人間が頭を下げ、彼にへつらう。
だけれど、カオナシはまったく幸せになれない。


享年、80歳と少しという祖父であったが、私はいま25歳である。私は祖父のように長生きしないだろうと思うから、
寿命を考えてみれば、あと50年あればよいほうであろう。
その間に、どれほどの人間関係が作れるか。
たぶん私は彼ほど人間関係を作れないかもしれない。
私の死を嘆いて、そこから何かを学んでくれる孫ができるだろうか。
随分自信がない。こんな糞みたいな屑人間に、そういうことはできない。
でもそういう糞みたいな屑人間でもできることは、本当に些細だけど、だけど本当に他者と関わろうと試みることだ。
あるいは子供の頃のように、汚れのない心に戻れたら、それは可能かもしれない。
数年前の、私にとっての大挫折の正体というのは、
私が些細な贈り物によって人間社会に参加するということを知らなかったからだ。
自分の有能性を相手に見せつけることで、相手を屈服させる、というような方法しか思いつかなかった。
別に有能でもないのに、そんなことを考えていたのだから、おかしな話である。
本当のところ、ただ素直にあいさつをして、親切にすればそれでよかったのだ。
素直になって、人とかかわり合えばそれでよかったのだ。
あの時は、自分という人間がいかに無能で、おまけに人間として下等なのか、というようなことしか考えていなかった。
けれど、それって本当は考える方向がずれている。
問題は素直な気持ちで、些細な贈り物ができないというだけである。
もちろん一方で、必要な努力も大切ではあるが。


祖父の死は、私にそういう人間としての原点というのを教えてくれたように思う。
余計な価値観で自分を苦しめるているが、本当は人生はもっとシンプルなのではないかと思う。
けれど、人は弱いからいつの間にか本質を見失い、幸せを幸せと感じないようになる。
私は何年も留年して、祖父に自立した姿を結局見せることができなかった。
私はその間、ひどく性格を捻じ曲げてしまった。余計なものにとりつかれてしまった。
祖父は私の中から、余計なものを多少たりとも消してくれたように思う。
もしかしたら死者というのは、日々日常の中で弱さによって降り積もっていく悪い種類の感情や、
あるいは取り憑かれた考え方というのを、その死によって一緒に浄化してくれるのかもしれない。
もっと本質を見ろ、と祖父が言っているように私は思えた。
ある人の死から、様々な人が様々な意味を見出すとは思うけど、死者は存在するとは別の仕方で、この世に残るのである。


月並みながら、御経を読むとき、ろうそくの灯が不自然に揺れていた。
あれはおじいちゃんだったように思う。