知の周波数

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)

レヴィナスと愛の現象学 (文春文庫)


確か9月の夏休みの頃に買った内田氏の本を読んでいる。
こういう本が文庫化されるというのは正直びっくりした。
大学に入って数年しかたっていないころに、「他者と死者」という内田氏のハードカヴァーの本を買ったが
一向に理解できないで、いまは棚の上に置かれている。
この「レヴィナスと愛の現象学」と「他者と死者」は、このたび文春文庫から普及版として出版されたので
なんとなく買って読んでいる。
理系の本ばかり読んでいると本当にしんどくなるから。


9月に買ったのに、正直「非観想的現象学」のところから意味が分からなくなってきて、
ずっと机の上に置いてあったのだが、たびたび鞄の中にいれて大学の図書館で読んでみたり、
そんなことをしていたのだが、漸く進み始めた。
「知の周波数」というのがあったのか、それともまとまった時間が取れたからなのか分からないが、多少進んだ。
テクストによって私は分節されているのかもしれない。
・・・多分気が向いたからなのではないかと思うが、「知の周波数」がもしかしたら一致したのかもしれない。
私は書き手の家に上がりこんで、読んでいる時の私は、私でなくなったかもしれない。
そう思うと不思議でロマンがあるけど、気が向いただけの可能性もある。
「意味が分からなくなってきて」と書いたけど、別段そこまで真剣に読んでいないので、
大体において意味が分からないのだけど、多少は分かるのである。
真剣に読んでも分からないのだろうけど。


舞台とそれを見る客の比喩で、現象学を説明する部分は面白かった。
素朴実在論は舞台を熱心に見ている観客に似ている。
自然科学などは素朴実在論に一般的には分類される。
懐疑論は舞台を白けて見ている観客に似ている。
が、観客という域を超えていない。
現象学は舞台を「演出家」として見ているのに似ている、らしい。
現象学についてはいつかも新書なんかで読んでみたけど、わからない。


でもたまにはこういう本を読むのも良いとは思うけど、他に半導体の本を読まないといけないのに、
こんなときに「知の周波数」があってしまうというのも考えものである。
半導体の本とは、相変わらず「知の周波数」が合わないようである。
単に私がお馬鹿な可能性は捨てきれないのであるが。


後は音楽も聞いているが、これも私の理解の範疇を超えている。
なんとちっぽけな私。
「at the deer head inn」「changeless」などはまだ聴けるのだけど、
この「my song」は聞いていて違和感抜群。
これも周波数が合えば聴けるのかしら。
私が分節されたら聴けるのかしら。


音声は無限の他者性に向けて開かれ、表像は他者を一つの全体性のうちに閉じ込める。


これは「音声」を「音楽」に、「表像」は「テクスト」に置き換えても大丈夫なのかなぁ。


My Song

My Song


半導体の本、読まないとなぁ。