精神と物質


利根川氏という生物分野でノーベル賞を受賞したサイエンティストと、
立花氏の対談本を数日前に買ったので、一応読み飛ばしてみる。
生物学のこまごましたことは、正直あまり興味がなかったので、利根川氏がいうサイエンティストとしての資質
のような部分を中心にサーチして読んだ。
古い本で、90年代前半に出版された本である。
バイオ系の学部が人気だったころに出版されたものではないかと思う。
私はそのころ小学生の低学年だったから、どうなのかは分からないが。


ちなみにシュレーディンガーも「精神と物質」という大文字のテーマで本を書いているし、
ベルグソンも「物質と記憶」というような本を書いている。
ベルグソンのほうは全く理解できなかった思い出があるが、いつか暇が来たら読もうか。


生物分野ではあまり利口な人間はどうもだめらしい。
一説には、記憶力があまり良すぎると発想というのがなくなってしまうという。
確かに、あれはああいうものだ、ということが教科書によって頭に刷り込まれていると、
ある現象を見たときに解釈するときに、一義的になりがちなのだろうが、
記憶力があまり良くないと、現象を解釈するときに、多少自分の頭を介して解釈に揺らぎのようなものが生まれるのだろう。
多少解釈に幅がでるというか。そこからオリジナリティーあふれる仮説が生まれたりするのだろう。


あとは「納得する」ということについて。
何でもかんでも納得してしまうやつは駄目であると言っている。
自分の言葉で、自分の心で納得できなければならない。
自分を納得させることができれば、いつか他人を納得させることも可能という。


それから睡眠と食事はサイエンティストにとって大切なもので、それを省いて研究などできないという。
また、サイエンティストならそれらをしっかりしながら、その他の時間はサイエンスに捧げるくらいの気概がないと
使い物にならないという。
もちろんスキーや映画にも行くが、それよりも実験で仮説を確かめることのほうがはるかに楽しいという。
そういう人がノーベル賞を取るのだろう。


あとは利根川氏自身は、人生の流れをよく読んでいる感じも見受けられる。


「精神と物質」という題であるが、最後には「脳で起こっている物質の化学変化から、感情という現象は説明可能か」
というようなことまで論じられる。
利根川氏は自分自身を唯心論者といっているが、かなり過激な唯物論者である。
一方で立花氏はそれに対してあまり賛同できないようであるが、
確かに感情というマクロの現象を、化学変化というミクロの現象から説明するのは、
そうとう骨が折れるというか、そんなことが可能なのかとも思ってしまう。


あとは生物分野でも分子生物学という分野では、電子顕微鏡なども必要で、
その電子顕微鏡も素人に使えるものではなく、専門のオペレータが使用を助けるわけであるが、
この技術者というのの腕が実験を左右するようである。
この腕で食っていくことも可能のようである。
この間は分子生物学どころか量子生物学という言葉も日経サイエンスで聞いたが、
きっと生物分野も進んでいるのだろう。
利根川氏は化学分野から生物分野に入り、生物系出身の生物研究者よりも化学に由来する考え方ができた
ということでそれがアドヴァンテージになったようである。
また物理系から生物分野に参入したという人間もいて、物理や化学という基礎科学の考え方というのを
生物という対象に適応すると、随分面白いことになるのだろう。


なんか久しぶりに本を読んだ気分である。
京都旅行に行くまで、学期が始まってバタバタしていたし、最近になった部屋の机の上をクリーンにして、
コーヒーを飲みながら、煙草を吸いながら、本を読めるという楽園状態を作ったので、
パソコンからboseのスピーカーに出力して、キース・ジャレットでも聞きながら文庫本を読むという生活を
取り戻したのであるが、(夏は部屋が暑くてそんなことをしようという気にもならないが)
それで久しぶりに本を読んだという気分になったのだろう。


今日はもう遅いので就寝して、明日は半導体の入門書のさらに入門書を読んで、レポート書きの下調べ。


この「精神と物質」という本から他のはてなブログに行きつくと面白いブログがたくさんあった。
大学院生や大学関係者のブログであるが、大学院生になることについて例え地方国立でも
かなりの激務を要求されるようで、大学院に進学することというのはよくよく考えたほうがよいのだろう。
いまキャリアについて学ぶ学部3年用の授業にも出ているのだが、その中で学部三年の餓鬼がついぞ思ってしまうあれ、
地方国立大学の人間ならつい考えてしまう「旧帝大以上の大学院への進学」ということがあるが、
あれはネットでは学歴ロンダリングなどと揶揄されているが、学歴ロンダリングできればよいのだが、
その前に研究室になじめるか、教授と気が合うか、というような課題が山積みであって、
地方国立レベルならその大学の授業を受けて良さそうだと思った教授の研究室で大学院に行ったほうが、
比較的安定な選択ではあると思う。
むやみに他大学の大学院に行って、研究室になじめなかったり、研究が上手くいかなかったり、
(他大学から来たわけだから周りに友人も少なかろう)
そういうことがあると、かなりの苦戦が予想される。
とにかく「他大学の大学院進学」というのは一種の冒険なのだろうと思う。
それに今時期の時点で「他大学に進学しようかなぁ」なんて曖昧に思っている学部3年生が、
工学系なら物理や数学、それから専門の工学分野の科目を大学院入試のためにそろえて、
さらに他大学の研究室まで行ってお話を聞いて、自分の気質と合うかどうか確認しながら、
一方で研究計画なども考えるなんてことは、おそらくできないと思う。
去年の私はそうだった。
だが、学部の就職説明会なんかでは「大学院に来い」ということを広告するわけである。
就職説明会というより、いかに学部学生の就職が保証されていなくて、大学院生の就職が恵まれているかと解くわけで、
学部で就職しようと意気込んでいる人間のことなんて、碌に考えていない就職担当の教授がいるもんやな、
と実感せざるを得ない工科系地方国立大学の現状は、一体何なのかね。ほんと。


だからこそ大学入試の時点で、見栄えする学歴を求めるならそれなりの大学に在籍しておけということで、
大学受験の競争が厳しい一方で、大学院の入試はさほどでもなかったりするのだろう。


利根川氏の師匠に当たる渡辺氏と文学者安部公房の対談がyoutubeにあるようだ。





あとこれ良い本らしい。目次をみると確かに理工系の数学をそろえているし、
それを直感的に理解できるように説明してくれるならなおのことよい。




第1章 線積分、面積分、全微分
第2章 テイラー展開
第3章 行列式固有値
第4章 e^iπ=-1の直観的イメージ
第5章 ベクトルのrotと電磁気学
第6章 ε‐δ論法と位相空間
第7章 フーリエ級数フーリエ変換
第8章 複素関数・複素積分
第9章 エントロピーと熱力学
第10章 解析力学
やや長めの後記―直観化をなぜ必要か