就活の動画

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眠れなかったので、石渡という「就活のバカヤロー」の著者とひろゆき氏が対談している動画を見た。
私と同じような年代の学生を交えて、就活について話している。
学生のほとんどはリクルートに洗脳されている人間ばかりで、
頭の回転だとか、コミュニケーション能力だとか、
自己成長だとか、そんなことをいう人間ばかりになると、世の中生きづらくなるだろうなと思った。


ただ、この石渡という「大学ジャーナリスト」はあまり信用できないという印象を受けた。


リクルートなどの就活産業会社が、気持ち悪い自己PR、面接技術に拍車をかけているのは分かる。
リア充的な学生生活を送らなかった人間は、まるで自己PRするべきところのない人間のように思えて、
がつがつしない学生は、その就活競争に敗れてしまう。


ああいう就活産業系の会社というのは、結婚を促進する会社のようなものなのだろう。
本来出会うことのなかったはずの人間と出会うことが出来、そこから結婚に至るというのが
おそらくこの婚活産業の売りだろう。
就活産業も会社と学生との出会いを促進することによって、より条件の良い会社と巡りあうことができる、
というのが根本にあるサービスなのだろう。
しかし、その促進というのは逆に苛烈な競争を招いて、挙句の果てに就活の長期化に結び付くという
おそらく創業当初は予想しなかった方向に進展していく。
リクルート式の就活を宗教のように信望する学生が現れてしまう事態に陥る。


この就活産業で、いたずらに学生を刺激して、儲けを出そうという社会人たちには確かに虫酸が走る。
自分たちはそんなに長い期間就活をしてこないで、学生時代というのを楽しんでいたのにもかかわらず、
現代の学生には、長期的な就活を要求するというのは、おかしな話である。
おまけに自分たちの無能か、または世界経済における必然なのか、企業に余力がなくなったからといって
現代の大学生には即戦力になれるかどうか、という高いハードルを敷くのもおかしな話である。


そういう部分には同意するのだが、
この人の語り口というのは、相手を言い負かすこと自体にウェイトが置かれている。
おまけにその否定というのが、きっちりという根拠に基づいたものではなくて、
はなはだしい印象論である。


別に相手を言い負かす、自分の意見を通す、というのでも良いのだが、
就活の「競争」や「エリート」というものを批判する一方で、
相手を言い負かさなければ、自分の大学ジャーナリストという社会的地位というのは保証されない、
と著者自体が無意識に気付いるのを体現しているわけあるが
その一方で主張の中では競争にたいして強烈に拒否反応を示しながら、
学生には「普通の学生でいいんだよ」と温いことをぬかす無神経さが気に食わないのである。
それも大して根拠のない場合が多く、彼を信望する人間がいれば、危うい新興宗教に騙されているのと
ほぼ同じである。


自分の主張を通すことが、やはり重要であり、その世界の中で生きているなら、
なにも自分が弱い学生の味方になって、正義のヒーローを演じる必要はあるまい。
正義のヒーローを演じると、お馬鹿な学生が本を買う。
最近の出版業界の堕落も甚だしいから、そのレベルにあわせて石渡氏は行動しているわけで、
大して就活産業系のがめつさと、彼のがめつさというのが変わらない。
資本主義社会の中でもまれて生きている以上は仕方ないのだろうけど、
学生側の味方になって温いことを言えばよいということでもないだろう。
だったら現代の資本主義社会のあり方自体に異論を唱えてみればよいだろうが、
石渡氏はそういう器でもないだろう。


あとはひろゆき氏は、ネットでよく言われているように「頭の回転が速い」。
頭の回転が速いということ、インスタント的に考えがまとまる、ということに
随分価値を認められるようになったのは、生まれて20年程度しか生きていない私が記憶する限り、
ネット産業が盛隆してきた2000年代なのではないかと思う。
ネット業界の人間は、ああいうインスタント的な考えのまとめ方というのを随分と信頼している。
かつてのヒルズ族に象徴されるような人物像と、リクルート系の学生が目指す学生像というのが重なるのは
私にはとても不吉なことのように感じられる。
誰しもこの「インスタント的な賢さ」にあこがれて、
そのインスタント性というのは、多くの場合、いろいろなものを無視した結果生じると思うのだが、
無視され些細とされたものたちの反乱というのは、
例えば就活産業が含む危うさに象徴されているのではないかと思う。