πの歴史

πの歴史 (ちくま学芸文庫)

πの歴史 (ちくま学芸文庫)


今日は夕方からファミレスにいって、読書をしたり、フーリエ解析の問題を解いたりした。
いくつか駅の離れた隣町の、海沿いにある田舎くさいファミレスで勉強するのがマイブームである。
相変わらず民度は低いし、うるさいけれど、ウォークマンを聴いていれば外部の音は入ってこないし、
なによりああいう大衆料理屋の雰囲気の中では、意外と集中できたりする。
勉強も板についてきたし・・・。


それでこの「πの歴史」は随分と面白い本である。
数学史学者でも歴史学者でもない著者が書いた本であり、いわゆる学術的な本ではない。
というのもかなり彼の好き嫌いが書いてあるからである。


著者はナチは嫌いだし、共産主義国家も嫌いである。
ガリレオを迫害したキリスト教も嫌いだし、古代ローマも嫌いである。
あとはアリストテレスも白痴扱いであり、一方でアルキメデスにはべた惚れである。


アリストテレスなど、ギリシアの哲学者は「知的俗物主義者」であるといい、
その言葉が随分私は気にいった。
日本の大学受験制度はそもそも「知的俗物主義」に基づいているではないか。
そもそも大学自体は、階級・階層を形作るスノッブなものと化している。


ローマ帝国などは、アレキサンドリアの図書館にあった蔵書をすべて焼き払ったらしく、
文化的な国というよりは、武闘派の国であり、(アレキサンドリアは学術の街、文化の街であった)
そういう武闘派の国は文化的にはなにも生み出さない傾向にあるという。


ナチの頃のドイツは、イギリスとたたかっている最中に兵器研究もしていたのだが、
この著者によると、彼らは大きなレンズでイギリスを焼き尽くすというような兵器の研究や、
爆音を鳴らして人を死に至らしめるという兵器の研究をしていたらしい。
本当かどうか、定かではない。
一方で英米はレーダーを開発したし、原子爆弾を開発した。


あとは政治家によって科学が牛耳られると、結構やばい兆候のようである。
一昔前、グラビアアイドルをしていたおばちゃんの政治家が、
「コンピュータは世界二位ではだめなのでしょうか」といっていたが、
この国も政治家が科学の土壌に足を踏み入れるようになったらしい。
この国の政治家もローマ人のように、文化を他からの剥奪でしか手に入れることができず、
さらにはその文化の意味も理解できないようになっているらしい。
古代ローマ人は、彼らよりもはるかに高い文化レベルをもった民族を奴隷に使っていたようである。


キリスト教ガリレオには随分ひどいことをしたようである。
もう老人だったのにもかかわらず、監禁して、
さらには屈辱的な文章に署名するように無理やり脅されたり、
アルキメデスに至っては、ローマが攻めてきて、証明をしている最中に剣で切りつけられたようだ。
剣で切りつけた兵士の名前はいい伝えられていないが、一方で切りつけられた人間の名前は残っている。
そう思うと、つくづく武闘派の人間は何も生み出さないようである。


πという数字は、円周と直径を結ぶ比例定数であるが、このπをどれくらいの精度で求めることができるか、
というのはその文明の進歩度を測るよい基準になるようである。
πなどという数字は、意識しないで使っているが、それを導くにはさまざまな人間が、
昔からいろいろなアプローチをしてきたわけである。
いまではコンピュータでプログラムを組んで計算しますが、古代には古代のアルゴリズムというのがあった。


紀元前より、すでにπの存在というのは知られていて、しかし現代人がπに何の敬意も払っていなかったり、
その歴史に無知というのもよくないと思い、買って読んでいる次第であるが、
新書のように読みやすいし、おまけに面白い。


あとはフーリエ解析の本に取り組んでいるが、二乗誤差というものを定義して、
さらには最小二乗誤差の性質をフーリエ級数の近似が持っているということを示したのだが、
数式変形も正直なところついていけないし、さらには二乗誤差の定義からその意味というのを
はっきりと理解していないために、表面的にしか付き合えていない。
フーリエ解析にもπはたくさん出てくるから、「πの歴史」を読むのは至極よろしい。


さらには、数式変形で、級数の扱い方(高校レベル)が定かではなくなって、
家に帰ってチャート式を引っ張り出さないといけない始末である。


・・・アルキメデスは賢かったんだなぁ。