フリー対局

今日はいろんなレートの人間とフリー対局をしてみた。


まずは初段辺りの人間のフリーで申し込んで対戦してみた。
フリーだから普段やらない戦法を試したり、あるいは気を抜いて指していたりで、
まともに相手をしてくれないから、見た目には将棋になっている。
本気でないのが伝わってきて少し残念。


その後レート500程度の人間に振り飛車で挑んでみる。
四間飛車と結構相対したために、多少覚えている。
こういうときは捌きにくいだとか、居飛車側から考えて捌きにくい駒組みにしてみる。
しかし、そういう駒組みだと居飛車穴熊にされやすいのであるが、
相手は急戦のような駒組みにしたかと思いきや、持久戦のように駒を組む。
数か月前はこの辺りのレートに甘んじていたのだが、いまは練習もしていない、
見よう見まねの振り飛車でも勝てる。
おかしなものである。本当に数ヶ月前までレート500だったのである。


将棋というのはよくわからない。
将棋24を初めて800局程度こなしたわけで、確かに経験値は格段に高くなった。
しかし、頭がよくなっただとか、ハードウェアの進化は全くない。
それなのにも関わらず、かつて苦戦していたレベルの相手に悠々と勝てる。
スポーツならハードウェアの進化はある。
身体がスポーツに適応するのが分かる。
しかし、将棋に関して頭が将棋に適応した感じではない。
経験を少しだけ積み重ねただけである。


別段、構想力が上がったわけでもないし、戦況を上手に見れるようになって大局観が芽生えたわけでもない。


少しだけ見についた大局観といえるかもしれないものは、
例えば終盤には大駒を切り、相手の金銀と交換することで、受けにくい状況を作るなどという知識である。
大駒を切るというのは、大局観がないと駄目だろう。
損得だけで見ていては駄目である。相手の受けについて考えれば、切る方がはるかに早く寄ることがよくある。
角だけでなく、飛車もそうである。
大駒を切るのは、相手が大駒で受けるなどということをしだすのなら、切ってもすぐに戻ってくるし、
戻ってくれば今度は寄せの強力な役割を果たす駒になりえる。
そういうわけで、しかるべき時には相手の金銀と自軍の大駒を交換する。
でも、これは大局観というよりも寄せの知識なのかなぁ。多分そうだ。


歩の突き捨ては、相振りにおける突き捨てなら終盤まで見通す大局観が必要かもしれないが、
居飛車振り飛車の捌きにおける突き捨ては、どちらかというと数手先を見る読みの範疇であろう。


あとは一局レート戦を指した程度。
ここ最近は、四間飛車の相手が非常に多く、堅く居飛車穴熊を組んで勝っている。
居飛車穴熊であれば、飛車と角を交換しても大したダメージにはならないので、
しかるべき時は交換する。
あとは歩などで相手の美嚢囲いや高美嚢に文句をつけて、歩と角と桂馬と銀くらいで、
相手の守備を荒らしていく。
居飛車穴熊の中盤は角がかなり頼りになる。
もちろん飛車を奪われては大変であるが、中盤は角が大活躍するし、相手の美嚢囲いや高美嚢に
文句をつける際には、なくてはならない存在である。
特に先手だとして8六に腰掛ける角というのは、相手の美嚢を破壊するのに十分である。
あとは7筋の歩と銀でねばっていけば、その細い攻撃は結構繋がったりする。
居飛車穴熊を始めた3月の終わりに比べると、随分使いなれてきたなぁ。
わざわざ銀を引いて松尾流穴熊にも場合によってはできるようになった。
そしてその堅さを利用する術も多少分かり始めた。