連敗でレートが600に

今日は連敗しまくって、レートが600程度まで下がった。
10級になると、さすがにがっくりくる。
棋書読まないとなぁ。


アパートの外で、べらべらしゃべる大学生がいる。
無駄に声がでかい。
関西弁をしゃべる人間は、どうしてあんなに声がでかいのか。
自分の関西弁をひけらかすようにしゃべる関西人というのは、結構多いような気がする。
偏見だったらごめんなさい。
別に関西人が全員そうだといっているわけではなくて、そういう関西人は目立ちますよねというお話。


もう4月だから、4月特有の入試の話らしい。
センター何点だとか、どこの大学に受かっただとか、そういう話である。
この底辺国立大学にいると、決まって入試を語るときに皆同じ語り方になる。
まずは自分のお馬鹿が前提なのである。
自虐を含めて、ふとでも自分はがり勉ではないけど、地頭はいいんだ、ということをアクセントに入れる。
こういうつまらない意地の張り合いの入試話というのは、大学入学した直後によくあるが、
そういう話題が、ぎすぎすして詰まらない雰囲気を生むわけで、
それによって大学に来なくなる人間もたくさんいるだろうと思う。
つまんねー学校だぜ。


将棋も連敗で、無駄に4月になって・・・機嫌がよくない。
掃除も進んでいないし、勉強もまったく進んでいないし、将棋も弱い。
死にたくなるぜ、と思いながらの大学七年目の春。
自分でも笑えてくる。
思うになにもしたくないのだろう、私は。
ただ家でマイペースにネットでもしているときが、正直一番幸せである。


掃除して勉強始めないと。


今日は夢を見た。
異常に鮮明な夢だった。
茶とらの猫が出てくる。
ずんぐりむっくりな茶とらの猫である。
こいつがなぜか川のほとりで猿に掴まれて、さらわれそうになる。
足の速い猿を私は必死に追いかける。
猿がいつの間にか茶とらの猫を放り投げる。
猫は川に落ちて、私が助けに行く。
そうしたらこんどは大きな熊が茶とらの猫を掴んでいる。
一瞬熊が茶とらの猫をはなした瞬間に私は奪い取る。
熊は当然私を追いかけてくる。
川にいたのだが、川から走ってアスファルトで舗装された道路にでる。
ふと軽自動車が通りかかり、私は猫を抱えながら荷台に飛び乗って難を逃れる。


茶とらの猫は、猿や熊に振り回され息絶え絶えである。
血がにじんで今にも死にそう、(死んでいる)から、バスタオルなんかをかけてやる。
そんなこんなで夢が終わった。


猫が死ぬ夢は悪い夢ではないらしいが、猿とか熊とか怖かったなぁ。


勝手に解釈してみると、茶とらの猫は私が執着する何らかの対象である。
猿や熊というのは、その執着を破壊しなければならない、あるいは現状を変えなければならない、
という革新派の私である。
一方でその執着の対象を、革新派の私から取り戻そうとしている、この夢の主人公である私は、
保守派の私である。現状維持、動きたくない、という私である。


保守派の私が最後に軽トラの荷台に飛び乗って救われるのは、実はあまりよくないことなのだろう。
革新派の私は、今の私にとって猿や熊という形に見えるのである。
それだけ恐ろしいわけで、現在の自分とはまったく異質の存在なのであろう。
私はその異質の自分にならなければ現状打破できないのであろうが、しかしそれになりたくないのである。
なぜなら獣同然であるから・・・。