気のないボウリング

今日は友人とボウリングへ。
かれこれ6年になる付き合いがある。
よくだべったりする仲である。


帰りに「時が過ぎるのが早い」といいあう。
友人と出会ったのはまだ十代のころである。
あれから私は今年で25歳になろうとしている。
無為な25歳。ただただ歳をとるばかりである。


歳をとるにつれて、失うものが多くなるような気がする。
いつの間にか大切な感情を失い続けるような感じがする。
なにより自分というものに与えられた力の小ささである。


ふとしたことで感じる。
たとえば将棋がなかなか上達しなかったり、ボウリングのスコアがしょぼかったり。
それだけで無為無能というのを痛感する。
それはもう信じられないくらいに。


一般人の行く大衆大学に通って、サークルに精を出すものの大きく頭抜けることもなく、
どんなに努力したとしてもリターンというのは微々たるもので、
良い結果が出たときには舞い上がるが、すぐに突き落とされたりもする。
可愛い女の子は、ちゃきちゃきと世間を渡っていくフットワークの軽い男に取られ、
別段美人でも何でもない女と付き合う自分の未来像がなんだか見える感じである。
なんといっても多留しているので、大した企業にもいけないだろうし、
大した企業にいったとしても、誰かと競い合って業績を出そうと努力するタイプではないような気がする。
そのように勇むには、なんだかもう歳を変な風にとり過ぎたような気がする。


歳をとると、「いい具合に力が抜ける」という言葉があるが、
若い頃は自分の全能性というのを信じているから苦しいのかもしれない。
自分は強く、賢くなければならない。異性にはモテモテである。
そんな幼児的な自画像を思い描き、その通りになれば歓喜し、それから外れれば絶望する。
歓喜と絶望の繰り返し、すなわち感情に起伏というのが随分いまよりも激しい。
それは諦めていないからである。自分をあきらめていない証拠である。
なにか一つのことについて、猛練習を積むのも十代のころである。
そういう体験が誰にも一度はあるはずである。
自分はこれに懸けている。そういうものがあったはずである。


一番激しい時代が十代である。自分はこれに懸けていて、少なくとも日本の中では一番である。
そういうことを考えて、有名人になる人間がいる。
しかし一方で、有名人になれない人間もいる。
そもそも全員が有名人になれるなら、有名人という名詞は成立しないだろう。
そんなに有名人が多かったら、有名人を覚えるのも一苦労だろう。


「有名人でないその他大勢」というくくりに、間違いなく私は入っている。
それを自覚したとき、十代の頃のような激しい感情の起伏がない代わりに、
毎日が惰性に満ちるようにもなるのかもしれない。
退屈で、見栄えのしない容姿、見栄えのしない日常、どうしようもない倦怠感、自己嫌悪、
以前私が「糞みたいな大人」と見下した大人に、今私がなっている。
だってどうしようもないのである。
ここから抜け出し、自己充実を得るためには、どれほど努力が必要なことか。
信じられないほどだろう。
努力で補うことができればよい。そうでない場合ならば絶望的である。


自尊心という言葉がある。ふんぞり返って自分大好きという状態も一つの自尊心かもしれない。
一方で、静かな自尊心が存在するという。
人並み、月並みな日常を送りながら、そこに自己充実を見いだす。
そういう人が世の中にはいるという。
私などは自己嫌悪の極みである。冴えない大学に通い、冴えない日常を送る。
馬鹿みたいな人間はなぜ子供を産むのだろうと思ってもいる。
馬鹿みたいな人間が生む子供は、間違いなく馬鹿みたいな人間になる。
競馬だって優秀な馬の種は高く売れる。


一体、「その他大勢」はなぜ子供を産むのだろう。
人生生きていて楽しいなら、子供を産むのもわかる。
きっと皆私以上に人生を謳歌しているのだろう。
私などは生まれてこの方、そんなに人生が楽しいと思ったことは一度もない。
中学も高校も学校に溶け込めなかったし、大学に至っては多留である。


どの人も私より柔軟に人間関係を構築しているように思う。
私は昔からそのようなことが苦手である。
素直に人と打ち解ける、ということが非常に苦手である。
近くにいる人間とすぐ溶け込んで仲良くできる人間を見ていると、
私はまるで宇宙人なのかと思ってしまう。
しかし、宇宙人は自分が特別なのだと思い、自分に人並み以上の能力を求めるが、
能力も人並みの宇宙人なら、人並みの人間の方が人生楽しいわけで、
私のように人と打ち解けることができず、能力も並みか、並み以下かもしれない人間というのは、
人生生きていてもそれほど楽しいわけでもないのである。


一体何なのだろうと、最近生きていて思う。
この風の流れない狭間のような場所には、いつの間にか来て、
なんだか無風のままどこにも運ばれないような、そんな感じなのである。
一体、私はどこへ行けば幸せになることができるのだろう。
何をすれば・・・。


今日も将棋をうったが、居飛車党にするなら四間、三間飛車中飛車に対して、
それぞれの対処法というのをもっていなければいけない。
三間飛車は急戦できたら、穴熊など組んでいる暇はない。
四間飛車は比較的遅いが、穴熊に組むとしても相手の銀が出てきて、完全な穴熊に組むのは
拒否される。それに逆らえば、そもそも穴熊を組むまえに崩壊である。
一方で穴熊を組んだ後でも、中盤戦が待っていて、ここで負けてしまえば
終盤まで押されっぱなしである。


そもそも序盤で矢倉に組もうとしても、相手が四間、三間といった振り飛車でくるなら、
矢倉を組もうとする序盤の体制自体が命取りになりかねない。
そもそも振り飛車相手に、矢倉を組むとなると、矢倉というのは
正面から来る飛車の突撃だとか、そういうものには強い形になっているが、
右側の方から飛車で来られると、矢倉の駒組みはしっかりしていたとしても、
その力はかわされたも同様になってくるわけで、つまりは振り飛車に対して
矢倉組んでも仕方ないし、矢倉を組もうとする序盤にしても仕方がない。


三間、四間、中飛車といった振り飛車に対抗するためには、
居飛車穴熊にしたり、銀冠にしたり、左美嚢にしたり、天守閣美嚢にしたりするわけである。
居飛車の基本である矢倉が多少できたとしても、この「振り飛車対策」というのができていないと、
居飛車党は務まらないわけである。
三間、四間、中飛車といった振り飛車に対してどう対応するか、そこが疑問である。


ネットに上がっていた情報で、「振り飛車党」と「居飛車党」だったら居飛車党のほうが覚えることが
多く大変である、というようなことがあったがそうなのだろう。
大抵の振り飛車党というのは、飛車を振って、大抵は美嚢が濃いである。
それから銀冠に組みかえたり、いろいろするが、ほとんど同じことをしている。
一方で受け将棋になる「居飛車党」は、たとえば四間を受けるのにも、三間を受けるのにも、
受ける銀の位置が一筋ちがう。
一筋銀の位置が違い、相手の飛車の位置の違いによる駒組みが違えば、
中盤戦の変化はまったく違うものになる。
三間、四間と一筋違うだけで、中盤戦が違ってくるわけで、「覚えることが多い」というのは
このことなのだろうと思う。


居飛車党が最初に学ぶのは「矢倉」であってもいいと思うが、
相手の「振り飛車」に以下に対応するか、というのが次のレベルである。
いま勝てないのは、そこに理由があり、私がそれを確立していない、というのがあるのだが、
それをどうやって解決すればよいのやら・・・。


いろいろなことで無力感を感じる。