えらく頭の中が混乱している

お葬式にいったが,あまり私は泣かなかった。
なんていうか,涙が出てこない。
なんだかすごくここ最近で不感症になったようである。


ただ,日々淡々と生きて,ご飯の準備をしてほかの家事をしようとしたときに,
なぜだか突然,人生が終わってしまうこともあるのだなぁ,と思うとなんとも言えない気持ちになった。
人は日々,暇だなぁ,つまらないなぁ,と日常的な時間を送るのかもしれないけど,
ふっとスイッチを切るように人生が終わることもある・・・みたい。


しかしながら,葬式後に私はつまらないことで家族と口論。
・・・わけわからん。
いつものように私をスケープゴートにして,全部の話を丸めようとしてきた。
小中高とこういう流れにはまり,家族にしてやられてきたわけだけど,
もう最近はこういう手口の構造自体を読み取り指摘することができるので,被害はそこまで甚大ではないが,
しかしながら,いろいろなところで溜めたイライラの行き先を,すべて私の中に収めようというこの家族力学,
スケープゴート的な扱いには,もう絶対屈しない。
来年は頑張って内定を得て,こいつらからはもうおさらばしよう。


お葬式に出ておいてなんだけど,この「家族」ってのは私はあまり好きになれない。
もちろん「家族」ってのから,利益を引き出すのが得意な社会性の高い人間もいるけど,私はそうではない。
こういうところで利益を引き出すのが得意なやつというのは,必然的に「学校」でも非常によい世渡りをする。
教員たちは「わかってるな,こいつ」という見方で見るのだ。
その後,そういうやつらは就職に関してもトントン拍子である。


利益を引き出すと書いているけど,要するに限られた牌をリレーしてやるだけである。
「あー,こいつ好きだな,こいつならリレーしてもいいかな」とかね。
んで,リレーされた奴はまたえらそうな顔をして,次にリレーするわけである。
世の中そんなものにあふれているし,そんなもんだろう。
家族って所詮そんな役割をする構造体である。


数年前の葬儀の時は,「じゃあこれから頑張ろう,現世を強く生きよう」と結構良いほうに行ったけど,
なんだか今回の葬儀は,いろいろ相まって,「はて,どういうことだろう」と思った。
私の兄弟は,家庭を持つことを宣言しているけど,不健康に育った,あるいは育てられた私は,まったく同意できない。
あいつ,この家族から利益は私の取り分を横取りして吸い取ったからなぁ。
さも,いい思いをしたに違いない。
んでも,お前が受け継いだ牌は限られていて,産んだ子供すべてにいきわたることはないだろうね。


と,ひねくれている私は地獄に落ちることだろう。どーでもいいけど。