私が昔住んでいた町は

最近はめっきり疲れていて、web上に垂れ流す自慰日記もなかなか書けなかった。
とりあえず、いろいろメモ程度に何が起こったか思い返そう。


あのろくでもない新入生セミナーの後に、研究室に新しく入ってきた4年生の歓迎会。
去年の私のように留年しまくってこの研究室に入ってきた人が一人・・・。
彼は就活することを心に決めているようで、あまり研究室には来ていないようである。
もう一人、就職希望の4年生がいて、彼はインフラ大手に一発で合格していた。
・・・どういうこっちゃ?
話がずれてしまった、歓迎会のことを書いていたのだけど、んーでも書くこともそれほどないような気もする。


それで研究のほうは、昨年の卒論前からやっていた課題を引き続きだらだらやっていた。
学会で指摘された箇所をシミュって検証していたら、大誤算が発覚。うへぇ。
んで先週のミーティングで報告。そしたらボスが「頭いてぇな、この問題」
企業報告も迫っていたので、とりあえず現状なにかアイディアでもない限り、「できないことがわかった」と
報告することになって、今週はその企業報告で、工場内を見学させてもらって、あとは「できなかったよ報告」。
無能でごめんなさい。


かくして、私が初めて単独で取り組んだ企業報告はほろ苦い出発となったのであった。
研究自体がぽっきり折れたわけではないし、昨年の年末に報告したところまでは生きているし、
自分が完成させた根本の部分は健在だからまだいいや。
卒論や学会で2月3月があっという間に過ぎ去ったとはいえ、無駄にしたのは4か月か・・・。
人間の寿命から考えても、4か月というのは痛い。
そんなの言い始めたら4年も留年で潰したわけだから、いまさら何言ってんの?って感じだけど。


企業さんとのミーティング後、新たな課題が来まして、今週から取り組むことになったけど、
先週末は土日も学校に来ていたので、えらくしんどくなって今日はついにさぼったと。
来週のミーティングもあるわけで、日曜日あたりから出勤してネタを確保しないと。
4月に入ってから、企業の報告があり、できないことがわかりながらもよい返事をしたいと思い、無駄に踏ん張っていて、
いつも家に帰ると日付回っていて、帰ったとしてもネットの動画見ながら酒飲んでいたので、
まったくブログなんて書く余裕もなかったのである。


それで話は変わって、またfbを非リアの私がのぞいてしまった。
あれは非リアには本当に猛毒である。
高校の同期はもう何人か結婚して幸せな生活を送っているらしい。
幼馴染もいたら見ていたら、こちらもリア充
そもそも私が住んでいた町というのは、地価も高いわけでそりゃリア充多いわな。
こう見えても私も高校時代まではぼちぼち良いところに通っていたから、高校時代の人間もパワーあふれる生活をしていて、
それはそれはリア充である。
その中で糞みたいな大学に入って身を持ち崩した私。
んでも見ていたら別段、学歴がどうであれ幸せそうにしている人は幸せそうにしているし、
そうでない人間はきっと私みたいに阿呆みたいな境遇にいることだろう。


一体、いつから身を持ち崩したのか、自分で考えてみたり。
多分、大学からではないと思う。それ以前に兆候はすでにあった。
いろいろ理由はあれど、大して友人がいなかったということだろうか。
つまらない人間だからなぁ。
というか人を信じたりってのが大してできない人間で、なんでああだったのか、むやみやたらに人を避けていた。
今だったら多分適当に人と話して、適当に部活するくらいはできると思うけど、当時は全然そういうことができなかった。
そういう人間って、人と人とのネットワークから零れ落ちてしまうし、毎日つまらない人生を送りがちである。
だからどんどん顔をしてに向けていって、周りには誰もいなくなる。


身体も全然健康だったのに、心が全然健康ではなかったわけで、折角、高校にはいっても部活の一つもしないで、
家に帰ってネットして引きこもっていたわけだから、そりゃあねぇってところだろう。
おまけにかなり人当たりも悪かったから、クラスでも友人ができないとなれば、今の結果というのは必然ともいえる。
もちろん何の対策も講じなかったわけではない。
大学のころは(今も大学だけど大学院だから)、サークルもやったし、バイトもやった。
友人が0の状態から、ある程度はできたけど、んでも最後の押しが弱かったのかもしれない。
なんていうか、逆に幸せっぽいのが嫌いになって、あえて反逆してみる、というような。
お前みたいなやつに幸せなんて来るもんか、っていわれれば反論しようもないけど。


でも多くの人は、学生時代に文化的な資本だとか、人脈とか、多くの人とふれあって楽しんだ経験とか、
ずっとやってきたスポーツでの実績とか、そういうものを積み重ねて社会人になっていくわけで、
それはとりわけ大学に通う人間はそう望まれたりもするだろうねぇ。
そこを省いた人間が大学を出てもろくな人間に育つはずがない、というのは確かにそう思う。
いくらそれらの価値観が俗だと言い張っても、結局のところそうなのかねぇ。
私の場合、そこまでハードウェアが悪かったとは今はあまり思わないし(当時はそう思いまくっていたけど)
それなりにソフトウェアと蓄積していけば、並みの人間には慣れたはずだし、ある程度楽しかっただろうから、
後悔はあるのだけど、とはいえ私は長い間、いろいろ思い込んでいたから仕方がないんだろうなぁ。


それでも一回「人並みの道」を外れたら、もうね、戻るのにも胸糞が悪くなる。
それでそれを追いかけるのもなんだか腹立たしくて、放棄したくなる。
これを続けていると、人間社会ほど居心地が悪くなるところはないだろう。


いつごろから私も丸くなって、研究室に通ってみたり、親戚の集まりには出てみたり、ってのはやり始めてるけど、
多分、これは社会復帰への道なのだろう。
悔しいけど、非常に腹立たしいけど、社会復帰の道を歩まされている。
それがいいのか悪いのか、というのはとりあえず答えを保留して、(今答えを出そうとすると多分「悪い、腹立たしい」となる)
最近はその方向に勝手に進んで行ってる。
多分、人生の流れなんだろうねぇ。
なんだかこのことについては、すごく「吐き捨てたくなる感情」ってのがあるけど、仕方ないかなぁ。
人より4年も遅れ、なおも他の道は見いだせないで、人が集まるところにいこうってのだから、むかっと来ると言えばくる。
だって、行くならもうまったく逆方向に行きたくなるけど、多分逆方向にいくと塀の中に行く確率のが高いだろう。


そんなところか、あとはもし就職が決まったら、習い事でも始めよう。
私の人生だから、やはり自分が楽しいようにデザインしないと駄目である。


fbを覗き見していて面白いことが一つあった。
中高生の時のクラスのマドンナは、早婚ですでに子持ちだということである。
人間社会ってこうなんやなぁ。
自然と憩いの公園で子供と遊びましたってな写真を載せていて、自分だけ足踏みしていることを実感した。
最近は研究室にずっといるから、世の中の流れってのを把握するのも悪くないかもしれない。


あと土日とか走れる日は、ランニングを再開しよう。
身体も絞らないとねぇ。