しばらく迷走をしていた

しばらく学校関係では迷走していた。
まず試験週間初日の最後の一つの必修の試験を受けたのだが調子が良くなかった。
いつものように明け方から用意し始めて、朝10時頃の試験を受けた。
前日からまったく試験勉強拒否体勢であり精神の具合があまり良くなく、またぐだぐだと無為に過ごした。
院試の時も、直前に用意して何とかなったから、今回も何とかなるさ、と魔が差した。
この余裕と、このギリギリ加減が後にえらいことになる。
とはいえ、この科目は結構頑張らなければやばい、と知っていたのにもかかわらず、
これから先の学会の発表練習だとか、大学院生活なんかを悲観して(とても嫌になった)、
この先もずっとこの生活なのか、となにやら後悔し始めたのである。
それで「最後の抵抗」と言わんばかりに、えらくあの日は頑固であった。
今日は、ボスから「あの科目は大丈夫だったようだ、かもしれない」というようなあいまいな情報が入ってきて、
今ブログを書いている次第である。
その情報が来るまで、ブログを書こうという気にならなかったのはなぜだろう。
書くと余計に不安が増幅されるからに違いないのであるが。


しかしながら、卒業したいのか、卒業したくないのか、その他の道を歩みたいのか、自分でもよくわからない。
不出来であった試験のあの日、私は「ここを離れてどこかほかで何かをしている自分」というのを想像していたのであった。


それで、今日は今日で、ボスの科目の試験があり、私は少しだけ遅刻していったのであるが、
私のこの行動はほかの人には意味不明らしく、普段持ち歩いていない携帯には、ボスの指示で研究室の学生から9回も着信があった。
試験の日は、プリントなりなんなり配るのに時間がかかるわけで、2分程度は遅れていったほうが、時間的にはジャストなのであるが、
今日はこれに加えて、シャープペンシルを筆入れに入れていなかったので、一旦試験場に入り、それに気づいてから、
さらに生協にシャープペンシルを買いに走るなど、プラスアルファで奇行を繰り出したおかげで、
試験中にはボスに「お前、ちゃんとほかの試験も受けているのか?」と心配される始末である。
結構、ボスにはいいとこ見せようとこれまで頑張ってきたわけだけど、とうとう「こいつ愚図や」というところを見られたか。
とはいえ、結構、愚図な行動はしていたし、気ままに怠けたり、頑張ってみたり、を繰り返していたのでもはやわかっているだろう。


試験後、一緒に試験を受けた研究室の仲間と話していると、「試験に遅れてくるなんて信じられない」と言われた。
少なくとも試験日の前日には、試験勉強がきっちり住んでいるような優等生からすると私の行動はかなり奇怪に映ったであろう。
私が一年前くらいに、学校関連の情報交換をしていた奴と話すと、そいつもかなりギリギリでしか動けないやつだから、
そんなに驚かれなかったけど、今いるのは私以外はほとんど優等生という研究室だから私はもう宇宙人扱いである。
それで私が遅れてきた話は、今日の研究室での会話のネタになってしまった。


最近は、不出来であった必修科目はどうなるかよくわからなくて、卒論書いても徒労に終わるのではないかと思い、
研究室もかなり休みがちであったが、今日のボスの情報で少しだけ安心したのか、ブログを書く気になったのである。
今日ですべての試験は終わり、あとは卒論だけだから明日から粘る予定であるが、どうなるかわからないのは本当である。
卒論はなんとかなりそうであるが、しかしながら、あの不出来であった必修科目はまだ不確かな「大丈夫だった」
という情報しか入ってこない。
担当の教官に聞きに行って、「落ちてたよ」といわれれば、間違いなく卒論なんて書かないわけで、
そうなるとボスが提案してくれたxxxxも使えなくなるわけで、それはすべきではないと思っているのだ。


何にせよ、ギリギリの橋の上にいて、ようやく向こう岸が見えている感じではあるが、橋のどこが抜けるかわからない状態。
感触としては「概ね渡れそう」といったところだろうか。


しかしながら、これから先の生活を悲観して、暴走を始めるという精神状態はいかがなものかとも思うし、
あとはあの試験前に「ここではないどこか」をおぼろげに想像し、不出来を実感した試験後には、
「ここではないどこかも案外楽しいかもしれない」というような曖昧模糊な感情が私を支配していたわけで、
私が本当に望むことなんて、そんなものはないのはわかりながらも、なにやら今からこの環境に適応して、
ありそうな自分の人生を拒否する自分というのも、実は心の中に大いに存在しているということは確認した。


ただ、この研究室ではそのような精神状態ではやっていけないように思う。
卒論が終わったら、一旦、休暇を取りたいのであるが、ただ、その後は企業報告、学会となり、一気に4月を迎える。
4月を迎えたら迎えたで、大学院でかなり忙しくなり、あっという間に12月の就職活動期を迎えるであろう。
そこから就活用トレーニングとして履歴書からエントリーシートやら厳しくチェックされ、愚痴愚痴いわれ、
研究それ自体にも厳しい突込みが入ることを考えると、先が思いやられる。
それがえらく心に負担になっているのではないかと思うが、一度そういう死線(大げさか)を潜り抜けなければ、
ろくに社会でもやっていけないだろう、と思いつつ、「なんでそこまでして」だとかそういうことを思ったりもするが、
それは私が甘ちゃんだからか、世間知らずなのかわからない。
社会に出て、私はこの研究室で頑張ってよかったと思うのか、それともそうではないのか、わからない。


研究室のほかの学生を見ていると、「いい企業に就職したい」とか「研究がやや楽しい」とかそんな感じだけど、
私の中では「職業学校」のような位置づけなのだけど、卒業間際の最近思うのは、
高校時代から振り返って「私の人生というのはこれでよかったのか」ということである。
そもそも「職業学校」に行くなら、ある程度分野も決まってしまうし、そこから出るというのもリストラにあった時か、
定年後の話で、まだまだ「ここではないどこかで、何かほかのことを」とか思ったりする私もやはりいるわけで、
そうなると急に足がすくんでしまったりするのである。


確かにいまの研究分野の近くで、たとえばプログラミングに際して人工知能なんかも学んでみたい、とか思ったりしているけど、
一方で、ここではないどこかを夢想したりもするのである・・・。
不安定な時期だなぁ、時間が解決してくれるとは思ったりもするが。


何にしても卒業が決まれば一旦、親とも一度話さなければならない。