未来を考えないと

今日は朝から研究室のイベント。イベントといっても研究内容の報告。
研究報告では、あるM1の学生が「ボロクソ」に言われていた。
ゼミで失敗した記憶が、それに自分を重ね合わせて蘇った。
確かに、指摘されていたように「自分で考えたこと」があまり含まれていなかった。
「他人の褌で相撲を取っている」とか「今のペースであと一年半過ごすの?」とか、いろいろ言われていた。
多分、私もまぎれもなく彼のように言われるようになるだろうけれど、言ってくれるだけまだましである。
「大学院に入って、この数か月間何をしていたの?」とも聞かれていた。
未来の自分がきかれているようで、耳が痛かった。


今のままではだめだから、もっと研究ペースを上げていかなければならない、進歩しなければならない、
・・・ごもっとも。でもそれがなかなかできない。
我が身を振り返ってみると、大学院進学に進路を決めてから、やはり緊張感というのが失われている。
前の後期の後半はある程度緊張感を持っていたし、就職活動でもぼちぼち緊張感を持っていたかもしれない。
いまは、そのころに比べると気の抜けた炭酸水のようになってしまっている。


確かに私もいい歳なんだから、自分の身の振り方くらい、自分で考えないといけない。
いつまでもふらふらしていては駄目である。
ふとはみ出したくなることが最近は多いけど、なにか犠牲にしないといけないこともやはりある。
前の後期だって、学校に集中するように生活にもいくらか気を使っていたし、
ふと夜更かししたくなる時もあるけれど。
ある程度、自分の生活に方向性のようなものを作らないと仕方がない。


説教を聞いていて、自分のことを言われているようでとても参った。
それでもまずは自分の精神力とか体力というようなものを、ある一定方向にある程度流すような鋳型づくりを
きちんとしないと仕方がない。今のように生活が乱れていては、先が思いやられる。


一応自分との約束を確認しておかなければ。
進学を決めたのは、将来の糧を得るため。
就職したつもりでやる。
そのためには犠牲なんて言葉は大げさで嫌いだけど、我慢しないといけないこともある。
あまり甘いこと言っていても仕方がない。
「プロ」になるつもりなわけだから、そのつもりで。