自己嫌悪

英語の通俗試験を先週受けたが(大学院入試のため)、結果が土曜日の朝に届いていた。
封筒を開ける前に、何点くらい取れているだろうと想像してみて、運が良ければ500点くらいはあるだろう、
と勝手に思い込んでみたはよいものの、封を開けると445点・・・。お馬鹿炸裂。
445点という冴えないスコアシートを見て、朝から気分がゲンナリである。
いくら通俗試験と揶揄しても、本人の実力が馬鹿みたいにない。
ゼミの準備もうまく進んでいないし、こいつ駄目だ、と見捨てたくなるけど、そういうことはこれまで飽きるほどしてきたので、
ここはぐっと我慢して、次につなげましょう。


通俗試験を運営する団体を儲けさせるのも癪だし、通俗試験を馬鹿みたいに信仰するもの癪なのだけど、
こんな点数ではさすがに悲しい。
駄目だなぁ、本当に。英語を勉強するのも癪に障る。
さらっと600点くらいは取れる頭に生まれたかった。
なんて回らない頭なんだ・・・。


それにしても、この点数といい底辺地方国立に随分毒されたものである。
8年居たって、何も変わりはしない。
4留するなら、もっと別の大学にいけばよかったととてつもなく後悔する。
別の大学に行ったとしても、うまくはいかなかったとは思うけど。
迷走しているなぁ、昔から変わらない。いったい何のためにここで勉強しているんだろう。


昔、大学院で別の大学院に飛ぶことを考えていたけど、あれだってお馬鹿丸出しで、
どこの研究室であっても関係ないから、とにかくほかの大学に行きたい、と思い込んでいた。
それですべてが解決するわけではないし、あまりに知らなすぎ。


なんで生きているんだろう、死にたい、とも言いたくなる。
本当に見事に人生迷走中。いつからだろう。
高校時代の同期なんて皆働いているだろうに。
なんで私だけこんなに貧乏くじひいてるんだろう、本当に愛想尽かしそうになる。
大学院進学にしても、ここの大学院だけは行きたくないんじゃなかったっけ?
何してんだろ、本当に。8年前に戻りたい。


でも、昔から思うに、すぐにキレて続かないからうまくいかないのであって、粘りが足らないのはわかるのだけど、
それでもこの可笑しな状況をみると、すべてをやり直したくなる気持ちにもなる。
祖母から電話があり、妙に私の単位を気にするのであるけど、それがまた癪に障る。
あんたのお気に入りの孫は、旧帝大出てよかったですね、とでも言ってやりたくなる。
たまりにたまった嫉妬心。そういうものから解放されたとは思っていたのだけど、再燃することもやはりある。


しかし、大学受験のころからといい、モチベーションを保ち続けるということがなかなかできない。
愚痴に侵されて、どこかで倒れる。駄目だねぇ。それは繰り返したくないのだけど。
なんでこんな気持ちになるかといえば、祖母の言葉の裏に、大学受験に失敗して、その後もうまくいっていない私に、
腫れ物に触るような気持ちが透けて見えるからである。
そうすると大学受験のころの、イライラした気持ちがよみがえる。


そういえば、これまで出会ってきた今の大学の学生で、「この大学嫌、外にどうにか良い条件で脱出したい」というやつなんて、
山ほど見てきたけど、その多くがもっと悪い方向へ行く。
逆に、この大学でやっていこう、となっている人はそれほど不幸せなようにはなっていない。
なんなんだろうねぇ、一体。