日付を回った研究室から初更新

今日はゼミなどあり、同期が秀逸なるゼミ発表をして、後続学部生のハードルを上げていた。
バイスの話であったけど、ストーリーが綿密につながっていた。
素子を紹介していく順番がとてもよいのと、調査が行き渡っているのと、それからそもそも頭の回転が速いようで、
適切な言葉が適切な時に発せられていた。
・・・これは真似できない。
私がゼミをやるとどのようになるのだろう。自分でも未知である。
願わくばよい方向に転べばよいのだが。


それで、今日は近々、英語の通俗テストがあるために、研究室で勉強することにした。
家に持ち帰って勉強したためしがないので、この研究室でそれをやることにした。
かなり夜型人間であり、そもそもこの時間は寝ていないので別によい。
優秀だといわれているM1の人が今、この研究室を後にして、広い研究室には私とソファで寝ている準ボスのみである。
よって、誰にも見られる心配もなくブログを更新している次第である。


そろそろ帰ろうとは思うわけであるけど、この研究室の静けさは悪いものではない。
多分、今後、研究テーマが決まり次第、夜型の私はこの時間にも活発に何かするであろう。
先週あたりは、昼間の研究室はワイワイとして、どうも集中できないと図書館に避難していたけど、
まぁ昼間はぼちぼち過ごして、夜にいろいろやるのも自分には合っているのではないかと考えたりしている。
一応大学院までいくと決めたわけだし、今後の生活のリズムというのもこのようにして想像しておくことは大切である。


しかし、「夜の研究室」という自分の今後の「居場所」のようなものを発見した今日は悪い日ではないと思う。
今日は、引き続き、英語の通俗テスト対策を続けていくとしよう。
誰もいなくなると、気兼ねなく自分の読みたい本も読めるし、悪いことはない。
大学院になれば、周りを気にしないでできるようなスペースも与えられるわけだけど。
帰っても別にろくなことをするわけでもないし、用事もないわけだし、私を待っている人間は誰一人いないわけで、
帰る時間などは正直どうでもよい。
二時だろうが三時だろうが、関係なし。その代わり朝などは起きないだろうけど。
昼くらいから研究室に出て、それから日付回ってもいるような生活になるんじゃないかと、これから数年先を予測する。


修士までいくとしても、この数年間なんておそらくあっと言う間にすぎることになるのではないかと思う。
それでも、「居場所」のようなものは見つけた。
ここで、とりあえず、自分がこれから数十年生きていくうえでの、「資本」のようなものを作らないとねぇ。
上手くやればそれができる。
「習慣」など付けば、なんとかなるのではないかとさえ思う。


この夜の研究室の沈黙というのは、
「私の人生というのはいったい何なのだろう」というような疑問を浮かび上がらせる成分も含んでいるようではある。
何してるんだろう、私は。
ただ、別に悪いほうには進んでいないような気はしている。少なくとも昨年よりは随分まし。