研究室の講義が始まった

今日は、朝10時前に研究室に行き、研究室の掃除をして、一コマの授業に出席し、
久しぶりに苦手な教授の講義を聞いた。
この教授の講義を聴くのは、数年ぶりであった。相変わらず恐い。
計測の授業であり、センサの授業ではあるが、その計測対象は非定常的なものでそれをどう計測するか、
というのがお題目の授業であるが、今日は温度計の原理や、体重計の原理、傾斜計の原理に終始した。
傾斜計は、サーボ機構というのが内蔵されていて、この「サーボちゃん」が傾きにより発生する重力によるモーメント(トルク)に反発して、
というような原理に基づいていて、一番複雑だったのはこれであるが、とはいっても大したことはないと思う。


午後からは研究室で、大学院生より講義があった。所謂「ゼミ」である。
・・・午前の講義に出席しているのは4年生のうち私だけであるから、もしかしたら午前は私のせいで、
あまり発展がなかったのかと思うと、申し訳ない気持ちになった。すまぬ、皆。
降/圧/チ/ョ/ッ/パという、直流電流源の電圧をd/u/t/y/比によって落とす回路をお勉強した。
その後、回/路/シ/ミ/ュ/レ/ー/タで動かして、動作を確認しただけである。
(専門分野は言わない、と言っているくせに公表している、書かないと覚えられないしそもそも基礎の部分を書いたって、
守秘義務に反することにはならない)
そのうち、本格的に研究が始まったら、ワードか日記ソフトで日々の記録を個人的に書いていくしかない。


帰りに研究室でネットにつなぐときの設定と、家でネットをつなぐときの設定を同期に教わり帰ってきた。
この設定がわからなければ、もう一台パソコンを買おうか、とも思っていた。
それでも今日はそれでうまくつながったので、今こうやってブログを書いている次第である。
数日間、ひと世代前のノートパソコンを用いてブログを書いていたが、処理速度の遅さに驚いた。
最近では、中国かどこかの会社であるが、私が数年前に買った10万程度のノートパソコンをはるかに上回る性能のノートが、
5万円台で売られているので驚く次第である。
しかし、家電にしてもパソコンにしても、最近のデフレ現象は凄まじい。
すでにノートパソコンは、日本でも中国製や台湾製が躍進している・・・。
日本が不景気になるわけである。


でも回/路/シ/ミ/ュ/レ/ー/タにしても、講義をして使い方を教えてくれる人々がいるなら、学習も早いものである。
研究室というのは、先輩から後輩へ知識が伝承されるところなのですねぇ。確かに効率がよい。
ただ、こういうゼミにしても学生から学生へ伝達されるわけで、研究室の学生の質が落ちてしまうととんでもないことになる。
私といえば、今の研究室の質をあげている、ということはまずないので、なんとか成長しなければならない。
電気回路は一通り自習で当たろうと思っている。
回路を感覚的に習得できればいいのだけど、そこまで到達できるだろうか。
自由な時間はまだまだあるので、自習の時間はたっぷりとれる。
なんとか空き時間にやらないといけない。
研究室というのは、こうやって学生によって運営されている部分もあるために、かなり部活動なんかと近い。
学生の質が命、というのは明らかですなぁ。


明日も授業、研究室で日々が終わる。
しかしながらゼミだけではあまりにぬるすぎるので、自習でガンガン行きたいと思う。
電気回路と電磁気学は、自信を持つことができるほどにやらないと。
電気回路はあの教科書でやろう、電磁気学は砂川先生の本でやろう。
電気回路の本は決定的なものがあればいいのだが、なかなか見つからない。


しかし、今のところぬるいので、こんなペースで大丈夫なのと焦る自分がいるけど、とりあえず焦らずぼつぼつと。
焦るとロクなことがないが、しかしながら大学院を出たときの自分が、自分の年齢と持っている技術を照らし合わせて、
消沈してしまうようなこともないとは言えないわけで、本当に何か「ものになる」ことができるのかと不安になる。
ただ、心配していても仕方がないし、天のみぞ知る、というしかない。
toeicの準備も進めないと・・・、就職するにしてもどちらにせよ、大変は大変。
ただ、学外に出て今のゼミを受けながら就職活動できるか、といえばそちらのほうが大変なのは想像にたやすい。


久々に温かいので、今日からランニングを再開して、健康的な体を取り戻そう。
ただ、日々「いいのか、これで」と思ってしまう。
たとえば今日のような平穏な日には特にそう思う。
自分というのは、もっとがつがつとやらなければだめなんじゃないか、とか。
しかしながらじたばたしても始まらない。
こんな風に生活していて、本当にいいのかなぁ・・・。もうわからん。
春の暖かさも相まって、この温さが恐い・・・。
でも一方で茨の道を歩けといわれても、そんな根性もない自分・・・。どうしようもないな。


私をぴりっと絞めてくれると思っていた学生も、なんだか私に生ぬるく接するようになってしまった。
自分で絞めろ、ということであろう。
こいつには負けねぇ、っていうブラックなパワーが湧いてこない。
昔はこれで動いていたからなぁ、ろくな事なかったけど。
今まで学校で昼飯なんて一人で食っていたりしたのだけど、研究室の仲間と一緒に食べている。
あまりこういうことはしないタイプの人間なので、なにやら私の唯一の武器のようなものである、一人で鬱屈しているけど、
妙な負のパワーというのも出てこないために、こういう不安な気持ちになっているのかもしれない。
同期もいい人ばかりだし、先輩もそもそも成績がいい人たちなので極めて常識的。
なんていうんだろう、この「常識的」に慣れていない自分というのが、やはりいるんだろうなぁ。
今まで、這いつくばって生きている、というような人ばかりと絡んでいたわけで、
こうやって日々真面目に、常識的に、計画的に生きている人々と接するのは、案外苦手だったりするのだろうねぇ。
違和感の正体というのはこれだろう。
私もこの環境の中で、「大人」になるのだろうなぁ。


ずっと進級しなかったのも、この自分には予想もできない未来、というのを感じていたからだろうなぁ。
ほんと恐い。生ぬるさも恐い。すべてが恐い。桜が妙に美しくて恐い。
春は不安になる季節。