頭に血が上る言葉

最近あったやり取りで、頭の中を周回してしまう会話があって困る。
確か車の中で大学院の話をしていたはずであるが、地方の私立大学から某国立大学の大学院に行ったというのを
私の母親が愚痴愚痴いっていたが、
「地方の私立大学からでも国立の大学院にいけるらしい、大学院って簡単なのね」
なんて馬鹿なことを言っている。
この婆は本当に世間知らずのくせして、「言いたがり」なので
このお馬鹿な性格の毒素をふんだんに浴び続けた受験時代を悔いるのであるが、
「国立の大学院だって人気の研究室とそうでない研究室があって、人気の研究室は推薦のやつらで埋まっているから、
大学院から他大学に進学したとしても、冴えない研究室に配属されたり、教授と馬が合わなかったり、大変みたいだよ。
研究室見学をしないと可笑しな結果になるから、面倒くさいし」
と一応理系の事情を説明してみたら、
「それを面倒くさいと思うか思わないかで実力がでてるんだよ」
と知ったような口をきく。
なんだかこの言葉が私の頭の中を巡回してはなれない。


この母親は私の自己愛を打ち砕くことは非常に昔から得意なのであるが、この母親も相当劣等感が強いのだろう。
人の自己愛を打ち砕かないと自分の精神のバランスが保てない、というのは相当なもので、
この人の奥底にある何かがきっとそうさせるのだろう。
そんなことを思っていたら、むくむくと「こんな糞大学に8年いて馬鹿じゃねーの病」を危うく発症しそうになる。
どうやらこの病気と母親はセットで私の心に収納してあるらしく、
どちらかで嫌な思いをすると、発症するようである。


数年前まではこの母親をぎゃふんと言わせなければならない、そのために他の優秀といわれる大学院に行かなければ、
なんて本気で考えていたわけで、あの頃の鬱屈した不のエネルギーで毎日毎日過ごしていたことを思い出した。
しばらくこういう思いは、レポート地獄生活や、就職活動をおもむろに始めたりということが重なって
全く持って忘れていた感情であったけど、私の中にはこういうドロドロした負の感情がまだ巣食っている。
高校時代から考えると、今の自分の状態というのは、劣等感にさいなまれる上に、
何の意味があって生きているのか、もう正直さっぱり分からないのであるが、なんなのだろうなぁ・・・。
就職活動なんて言うステージを換えるための運動をするわけだけど、それさえもなんだか無意味に沈むのではないかと思う。


しばらく忙しくしていたので、久しぶりに自分の暗い部分を見た感じである。
躁状態だったからなぁ。
「家族なんて糞食らえ、大学なんて糞食らえ」で生きていても実際のところ良いことなんて一つもないし(経験則)、
だとしたら「大人になって」そういう負の感情にとらわれないで、もう少し淡々と生きていったほうがよいと思うけど、
一体何なのだろう、なんでこんなところでこんなことをしているのだろう。
私を規定している周りのすべてを断ち切りたいと思ってしまうけど、それも良い方向に行かないのは分かっている。
私はこの現状を受け入れ、それなりにやっていくしかないのだろうなぁ。
春が近付くと、なんだか頭の中もおかしくなる。