イデオロギーのない政治

話題になっている「朝生」を見た。
橋/下氏と他のちょっとあれな学者さんたちの論争。
聞いていて刺激的だからエンターテイメントとしてみた。


冒頭のほうは全く会話がかみ合わなくて、本当に些細なことを学者さんたちがつつきまわす。
もちろん選挙公約の欺瞞というのは許されるべき問題ではないが、他の政党もやっているという免罪符で
一応切り抜けたようだが、この辺りの話はつまらないので割愛。
度の過ぎた欺瞞なのかどうかというのは、いくらでも言いようがあるようだから。
同じことを何回も何回もいうだけで話が発展しないからつまらないなぁと思ったら、最後になってようやく話しがかみ合いだす。
東氏って小難しいことばかり書く眉唾な思想系の作家だと思っていたが、本質的なところをついてくれて面白くなった。


あの番組で冒頭に知事が話していたのは、大阪の政治システムについての話であった。
これは徹頭徹尾技術的な話に終始して、なかなか尻尾を出さない。
学者さんたちが不安に思っていることが心の中にあるはずなのだが、極めて実務的、実際的な行政にかかわっている問題から
知事がはみ出さないように気を付けているので、的を得た批判ができない。
テクニカルなシステム論に持ち込むのは、あれは一種の戦略なんだろう。
行政にかかわる人間しか知らないことばかりが上がる。下手な批判をすれば「調べていないのだから話にならない」となる。
まともに政治システムの技術的問題でやり合って議論できる人間というのは、行政にかかわっている人間しかいないだろう。


それで最後の最後でやっとイデオロギーの話。
教育制度改革をすると言っているが、例えばどういう人物を作るのか。
君が代」の問題はどういう見解でいるのか。
これらの問題に、行政のシステム論のように技術的な話だけして、イデオロギー的な要素を抜きにして切り抜けることは
不可能であったようで、(それは当然そうだろう)
漸く、その話題になり学者たちが息を吹き返す。(中にはひどい学者もいたが)


知事の意見はこうである。
自分は今の無駄のある行政システムについて、民意が素早く反映され決定されるような、時定数の低い政治システムを作りたい。
極めて機動力のある政治システムを大阪府、もっと言えば日本に配備したいというのである。
そこで東氏が「イデオロギーはあるのか、その技術的な政治システム改革の向こうになにがあるのか」と本質を突く。
これに関しては知事はずるいので全く答えない。
「私は政治集団の長であり、私の当面の目標はこの国家にスピード感をもった機動力あふれる民主主義的な決定システムを
配備することであり、イデオロギーについては政治集団の中で国政を取る段階になる頃に打ち出していく」というようなこと。


一番の不安は、ただの政治に関するテクニシャンのような面をして、メディアやネットで人気を取りつつ、
国家権力を握った暁に、意図しないイデオロギーを「民意が味方についている」という題目をもとに打ち出してくるのではないか、
ということだろうと思う。
一番の不安はこれであるが、「改革」という言葉につられて多くの人が票を入れるからテクニシャンの仮面をかぶった
素顔を出さない政治家が当選してしまう。
いまどき、有権者の前で政治思想の面で裸になる政治家なんていないだろうけど、それでも「論争にめっぽう強い」から
知事に賛成というのはどう考えても間違っている。
論争に強いわけは、彼がテクニカルな話からはみでないようにしている時だけで、イデオロギーについて話すときは
かなりしどろもどろ。個人的な思想というのは一切表に出さない。


極めて迅速に政治的判断が下される行政環境というのが日本をどう変えるのか分からない。
彼の言う民意が即座に行政に反映されるというシステムにおいて、例えばどのような人間を学校教育において作るのか
というようなイデオロギーを含んだ問題に対しても民意を反映するという。
なぜなら自分自身がイデオロギーなど表に出したくないのでそう言いたいわけである。
「市場原理に対して従順であり、競争力のあるグローバル市場を切り開くような人材」というのが、
もしかしたら彼の頭の中にあるのかもしれないけど、(極めてアメリカナイズドされた人間像であるが)
そこはかとなく表に出さないけど。


自分の中で橋/下知事が胡散臭いと感じていた理由がはっきり分かった面白い番組だった。
機動性にあふれる判断システムをもった行政システムの先に、彼は何を見ているのだろう。
そのあとの世界など何の予測も成り立っていないようだけど、なぜあんなに確信的な物言いができるのだろう。
とはいっても「一体自分がこの政策を世の中に提言し、実現して一体なにを将来的に実現して、
将来の世の中がどう変化するのか」という点に対して、明確な論理に基づいた予測を持っている政治家のほうが少ないと思うけど。
しかしここの部分的なテクニカルな行政問題も政治の重要な課題だと思うけど、一方でイデオローグな話も政治の持つ一面である。
これだけイデオロギーというものが嫌悪されて、さらに技術的な問題に終始するような政治というのは、
世界情勢と無関係ではないはずである。特に戦争と無関係ではない。それも国威高揚とイデオロギーは密接であったはずである。
別にイデオロギーが具体的な意味を思っていたわけではなくて、ただ国威高揚のために利用されていたとしても
そこにはかとなくイデオロギーなるものが打ち出され、比較的分かりやすくなっていたはずである。
政治って恐い、本当に。