弔い合戦

世の中はセンター試験ということで、毎年私は現代国語だけ弔い合戦をしている。
数学などもやはあんな早さで計算などできない。
古典はもとからできないし、英語も得意ではない。
今の私でも(当時できたわけではないが)唯一できるのが、現代国語。
センター試験で敗れた落ち武者ではあるが、私の生霊が弔い合戦を望むのである。


高校時代、私は友人が皆無であったので、図書館に通っていたわけであるが(教室にいてもすることがないので)、
本を読んでいたというよりぼーっとしていたのが正しいとは思うが、
大学に入ってからは読書の習慣をつけた。
というより安く簡単に手に入る娯楽というのが読書であって、それで暇をつぶしたというのが正しい。
読む速度も受験当時とは比べ物にならない早さ(とはいってもグータグータラ読むのだが)だと思うわけで、
とにかく活字慣れはしているはずだと思い、毎年センター試験の現代国語に挑戦している次第である。


私は普通なら大学など卒業して働いている年であり、なおも何らかの怨念を持ってセンター試験の国語で弔い合戦をしているというのは、
自分でもなかなか引いてしまうくらいのねちっこい精神だとは思うのだが、とは言ってもそこが私の人生の分岐点であったことは
やはり確かなことであり、高校時代の進学クラスのトップの連中にぐぅの根も出ないほどのパフォーマンスの差を見せつけられ、
都落ちとして田舎の地方駅弁大学に通うことになったのは、衝撃的な挫折であった。
だからこそ、毎年自分自身はあのころとは違うのだ、ということを証明したくて取り組むわけではあるのだが、
去年も今年も芳しくない。


去年の評論は鷲田清一氏の文章であったが、30点台で終わっていた。
さらに制限時間の20分は随分超えてしまっていたのにもかかわらずその結果であった。
制限時間は、確かに弔い合戦というのもあるけど、純粋に文章を読むという楽しみも兼ね備えているためだから仕方ないとして、
その30点前半という得点についてはいかがなものかと自己嫌悪に陥った。
あとは昨年なんかは英語の勉強もしていたので、リスニング問題に取り組んだはずであるが、あえなく平均点。
smart.fmを使ってそれなりにdictationなどにも取り組んでいたはずであるのだが、平均点。
去年は自分の実力のなさに愕然としてしまったのを覚えている。
所詮は平均点を界隈でうろうろする駅弁大学レベルなのかと思うと、かなり残念に思ってしまう。
・・・典型的な学歴コンプレックスである。


今年は、木村敏 - Wikipedia氏のテキストから出題されている。
ダーウィニズム的な世界観とポスモダ初期のニーチェ的な人間観によって書かれている文章で、
少しばかり古臭い感じであるが、数学的な図形のイメージを使った自己と他者との境界構造についての洞察は、
文章構造も比較的はっきりしているので、分かりやすいといえば分かりやすい。
木村氏はwikipediaで見てみれば御高齢の精神科医であるらしく、構造のはっきりした科学者的な文章だと思った。


内容についてざっと書いてみると、生物と人間の違いは自意識があるということであるが、
生物にも確かに個体識別する能力はあるけれど、人間のそれは生物のそれよりも随分と発達している。
私たち人間の場合、均質空間に引いた境界線で個体と環境を分離できるわけではなくて、
(そもそも生物一般でも境界線が明確に引けるわけではないのであるが)
私たち人間の自意識というのは、円の中の中心点のような特異点のようなものであり、
かりにその中心点というメタファーで人間の自意識というのを従えた場合、中心点には「内」も「外」もない、
単なる境界線であって、私たちの自我というのは自己と環境が織りなす境界線そのものではないか、という洞察である。
最後にニーチェ的な人間観を用いて、その境界にはニーチェのいう「力への意志」というようなものを感じる、という。


文章全般に言えることは、文章の輪郭というのが意図的にあいまいにしてある現代フランス思想のようでは決してなく、
科学者の書くような輪郭のはっきりした文章なので、受験の現代国語の問題に使われそうな文章である。
ニーチェもダーヴィンも物語と化してしまった現在では、これほど輪郭のはっきりした文章は流行っていないとも思う。
結果は最初の出だしの一問を間違えて、40点台。この歳なのだし満点くらいは取りたいものだが、毎年一問二問間違える。
ひどい時には三問程度間違えて、自己嫌悪に陥る。今年はまだよいほうである。


歳を取ると、漢字の問題には強くなる。ニュースの記事なんかもネットで読むし、ネットで他の人間のブログなんかも読むし、
分からない言葉など出てきたらすぐにネットで調べることもできるので、この辺りは経験が補ってくれている。
煙草とコーヒーを片手にのんびり読んで解答するのだが、これだけの文章を読みつつ本番で8割以上の得点をたたき出すには、
文章を味わっている暇もなければ、とにかく事務的に読んでいかなければならない。
とはいってもそういう読み方をした結果、局所的な文章の意味を問う問題には回答できるであろうが、
最後の問題で文章の全体像について聞かれた場合、結構困ることもあるのではないかと思う。
一方で全体を俯瞰しつつ事務的に読み、最後の問題にも正解する平均点以上をたたき出す受験生というのはやはり脅威である。
実際に、「異種個体」だとかそういう些細な言葉が、間違いの選択肢の中にさりげなく置かれていて、
全体的に意味は正しいように見えるのに、瑣末な言葉が違うというところを感度良く察知しなければならないので、
センター試験の現代国語のやり口というのを、よく知っている人間でなければ満点は取れないだろう。
過去問を買って、どういう選択肢をデコイとして置くのか、そのパターンをいくつか知っておかないとまず無理。
現役当時私はそういうことをしなかったし、今でもそのようなパターンなどは知らないため、満点は取れない。


おまけに、答え合わせをして違った解答について自分なりに分析するときのあの感覚といったらない。
頭がくらくらしてくるのである。そんなに注意して精読など普段しないし、本を読むときも散漫に読むために、
なんだか訳が分からなくなるのである。くらーっときて、文章の意味が全く入ってこないというような状態になる。
あの短い時間で、あの文章を味わい楽しみつつ回答できる人間は、相当頭の回転が速いタイプだと思うが、
私には想像のできない人間である。いやはや今やっても大変なテストだと思う。
なにより秒読みに追われるので難しいし、あの時間ですべての問題にこたえるには相当の自信がなければならないだろう。
要領というのを自分の中で確立していないとまず無理だとは思う。
それに読んでいたら疲れるというのもある。今日は小説などもやるつもりだったが、評論だけで疲れて煙草を吸っている次第。
まだ若いのに爺さんのような頭である。(全国のお爺様方失敬)
利発で要領の良い人たちを選抜する試験である。
利発で要領がよかったら確かに何でもかんでも上手くやるとは思うけど。
思うに私はこれと正反対のタイプである。
自意識というのはダーウィニズム的世界観の適者選択のうちに宿ったものではないとも思う(笑)。
もっと余分でごちゃごちゃしたものではないか。
なんの論理的過程も経てないので恐縮であるが、私の粗末な人生による経験からそう思う。


(追記)
小説もやってみたが、暗い話だった。まるで自分のような根暗な人間が主人公であったが、これに共感を覚える男子学生というのは、
結構多いと思われる。
美人の彼女がいたという一点で私とは違っているが、多かれ少なかれ青年が抱える鬱屈した悲しい日々を描いている。
最後に一問間違えた。考え方が変わっているのではないかというのは私の勝手な憶測だったようだ。
昨年の、干潟のお婆さんよりははるかに心情が分かりやすく(自分ととても似ていたので)、昨年のようにぼろぼろにはならなかった。
基本的に大抵の男は、この主人公に感情移入できて読みやすいと思うが、
昨今の男の胸に止まった玉虫をたたき落とす野暮な若い女性たちは、
おそらくこの男の根暗ぶり、草食ぶりについていけなかっただろうが、
男の草食、女性の粗野というのが取り沙汰される現代においては、この小説の古臭さも多少は薄れたりするのではないか。
根暗な男全盛の時代で不景気であるから、こんな冴えない男の話を選んだのかしらね。


今年は男の主観で描かれた小説だったから、男の得点率はもしかしたらよかったかもしれない。
昨年は、干潟の意地悪ばあさんの話だったから、女の得点率が良かったかもしれない。
小説に限って言えば、あまり性差が得点に関係してこないような構成にすべきだと思うけど、最近の受験生は優秀で、
そんなの文章をきちんと読めていれば、どんな問題が来ても間違うはずない、間違えるお前が悪いんだというかもしれない。
どうでもよい話だけど、一応毎年現代国語はやっていて、冴えない私の脳みそを試しているだけの話である。


http://hamusoku.com/archives/6595803.html
これ見てセンター試験今年もやろうかなと思ってしまった。やった後読んでみると多少面白い。
ハム速なんて読んでるんです。情弱なので。
確かにこの玉虫をたたき落とすし、踏みつぶす女の子は恐い。でも粗暴な女性像は最近では理解されやすいだろう。
昔は「男って無神経ねぇ」なんて言葉を女性のほうは言っていた時代もあったとは思うのだが、
最近のアニメなんか見ても、女性ヒロインはツンデレかつ粗暴。(ハルヒなんかはその典型である)
この小説は古臭いくせに、時代を先取りしている。時代が繰り返しているのかもしれないけど。
このツンデレ粗暴女子に関する問題も一問あって、たたき落とした理由は二人の関係を邪魔されたくなかったということらしい。
選択肢を消去法で消していったらこの選択肢しか残らないのでそう答えるしかなかったけど、
出題者は本当にそう思っているのかなぁ。
男が彼女の肩に手を置いた瞬間に玉虫に気づき、突然その玉虫をたたき落とした瞬間に、
男の手はその反動か何かで離れてしまったわけだけど、その男の手を玉虫をたたき落とすという間接的な方法で
振り払ったとすれば(実は別れたくて仕方がなかった)、小説全体の若い男の悲劇性というのも増して面白くなると思う。
面白い読み方があるはずなのに、ただ女の側が二人の関係を邪魔されたくなかったというのはあまりに面白くない。


結果 評論 40 小説45 合計 85
明らかにタイムオーバ。昨年よりもはるかにましな結果になったが、今年の現代国語は易化していると思われる。
去年の鷲田氏の評論とか干潟ばあちゃんはとても難しかった。
易化というのは(いか)というのか。初めて知った。恥ずかしい限り。
「取り沙汰」もこんな字書くのね、知らなかった。
あと玉虫ってこんな虫だったのか。