ほいさ、ほいさ

* 閲覧注意、ひどい愚痴の嵐、悪いものを吐き出しています、読むと不運に見舞われるでしょう



電磁気学の補講に出てきた。問題が配られて、自分で解いていくだけ。
一番最初の問題から講義形式で解いてもらうのが、テスト勉強の時間を短縮できるので一番良いのだが、
そういうわけにもいかなかったりする。
思うに、TAが他の学科(材料系の学科)が多かったりすると、TAが電磁気学をろくに知らないので、
彼らが代わりに講義することもできないので、自分で解いていくだけという補講になる。


自分で解いていくのが一番身に着くのは分かるけど、私のような面倒くさがり屋は目の前で解き方を披露してくれると
とてもうれしいのだが、仕方がないのでこつこつ自分で解いた。


試験は、コイルがどうのこうのという話と、コイル間の関係の話と、波動方程式の話で、
コイルがどうのこうのの話以外は、すべて理解できたので、4つでる大問のうち、3問はめどがついたので、
ぼちぼち実りがあった補講であったかもしれない。
あとひとつ大問を解けるようにすればテスト勉強は終了する。
解き方のプロセスを理解したら、あとは覚え込むだけなのだが、これがまた面倒くさい作業である。
覚えるのは苦手。


それでスーパーで刺身を買って帰った。
テスト勉強は多少進んだが、勝負は憎き実験レポート。こいつを健全に処理できれば、進級はほぼ確実になる。
レポートの材料も今年は珍しくそろっている。


明日は休みだけど、化学系の企業の学科説明会があって、行こうかなぁと思ったりもしている。
かなり大手企業だから、どうかなぁと思うわけだけど、一応情報収集と位置づけて気が向いたらいこう。
大手だとかなんだとか、昔は汚いこといっていなかったのだが、最近はこんなことをたまに考えてしまうために、
なんだかなぁと思ってしまう。
とても考えが現実的になってきたのは分かるのだが。
大手大手と言っているうちは、まだまだかな(笑)。


(追記)
昔は、こういう苦労が嫌いで仕方がなかった。
なんでこんな底辺駅弁大学で補講だの実験だのレポートだの書いて、卒業せなならんのか、さっぱりわからなかった。
正直今でも分からない。ときどき無性にイライラするのは、その名残であるのだろう。
私の子供が地方のしがない国立大学の工学部に行くなんて言い出したら、まず止めるだろう。
卒業するには、「過去レポ、過去問」がないと楽に卒業できないうえに、周囲からの評価など0もいいところなのに、
実験が毎週あってレポートを書かねばならない。
家族には偏差値がどうだとか、糞みたいな世間知らずの母親が世間的な価値をゼロ査定してくる。
就職活動をしてみれば、私の両親のような私立文系大学(中堅かそれ以下)の人間なんてろくなニーズもないことが
よく分かるのだが、あいつらはなぜか自分たちの経験ばかり人に押し付けて、工学部の事情など全く知りもしないのに、
見当違いな意見をぶつけてきたのだろう。


それでも昔よりはまだ精神状態はよい。
大学嫌い、家族嫌い、周りの人間嫌い、すべて嫌いだったので、一昔前は無気力に家で寝ているのが一番幸せだった。
今なんで、こうやってブログ付けながら、毎日の学生生活の記録をつけながら学校に通っているのかさっぱりわからないが、
さて、なんでだったっけ?
昨年は、微妙に勉強したりもしたが、はてなんでだったっけ?


ときどき思いっきり周りへの毒を吐きたくなる。やってられないぜ。何が就職活動だよ。
出来レースにきまってるじゃねーか、と昔の自分がむくむくと頭を擡げようとするときもやはりある。


それを、昨年とか今年は封印して、静かに静かに生活しているのである。
激情に身を任せて行動しても何の意味もない。むしろ自体を悪化させるだけだということは何年も何年も味わった。
そういえばサークル活動で社会人と大喧嘩をしたこともあったし、家族とも随分喧嘩したし、
嫌いな科目の教官はへどが出るほど嫌いであった。
したり顔に「君たちは頑張れば年収700万は行くから厳しい世の中だけどどうのこうの」と言った教官は嫌いであった。
今思えば何時700万行くのか分からないが、確かに700万行けば今の世の中それなりにもらっている部類にはいるから、
ぼちぼちな話ではあるのだが、この教官はひょろりとしたヲタク風であり、ゲーム店でドラクエなんか買って喜んでいる
ところを見てしまっただけに、この小市民はなぜ大学で研究しているのかさっぱりわからなかった。


そんなこんなで、私の本性というのは、ひどく猜疑心にあふれて、他人とうまくやっていくことも難しく、
人嫌いで我儘で、陰湿な人間なのであるが、
しかし、ここ最近は、他人とも話すようになってきたし、大学でも頑張ろうとは思っている感じではないが、
そこそこやって卒業しようと思っていたり、要するにいろいろなものをあきらめたという感じである。
諦めの次に、なんだか精神的に楽な着陸地点というのを見つけて、いまはそこにいるのだが、
これが大人になっていく過程なのだと思うと、とてもリアルで青春というのもそろそろ終わりなんだなと分かってくる。
なによりこういう安定が昔は大嫌いで、安定してしまうと二度と人生やり直し効かないと焦っていたように思うけど、
ついには私はここからどこにも脱出できなくて、安定してしまったわけであるが、
そうはいっても「身を捨てて浮かぶ瀬もあれ」という言葉もあるわけで、私はここからまた違う人生を歩むのだ。


暗いところから、多少明るいところに着地したので、今日の愚痴はこれくらいにしよう。
こうやって愚痴を書いていくと、多少それを排出した気持ちになれて、気分が晴れる。
その代わりにwebが私の汚い感情で汚されていくわけだが、この広大なるwebでは私の汚い感情如き矮小なものは、
微少で無視できる程度のものであるから、ちょろちょろと汚いこの感情を垂れ流させてもらうのである。
とはいっても垂れ流したところで、軽くなるのは本当に少しである。
writing cureなんて言葉があるが、あれは愚痴を書きまくればよいのだっけ。
最後に無理やりいい子ぶりっこするからあまり効果がでないのかなぁ。
徹底的にとはいっても、そうするとあれだからなぁ・・・。