軽く軽く、ぽよぽよ

ここのところ、ブログを書くときは躁状態が続いていたようで、下ネタなんか書いている。
「非リアの恋愛論」など需要はないのは分かるけど、こういうところにも文章で切り込みたかったので書いては見たが失敗。
それなりに経験がないと上手く書けないものである。


そういえば、米長会長のニコ生が今日はあったけど、女にもてる秘訣は
「女が好きであること」と「事後手を背中にまわすこと」であるという。
さすが経験豊富な人間の言うことは違う。


そんなことはどうでもよい。昔からバリアが張ったように、物事に取り組めなくなる時があるけど、
あれは「こだわり」とか「こうでなければならない」と私の頑固な性格によるものである。
「こうでないと絶対だめなんだ、これ以外は全部認めない、これをやるくらいならやらないほうがまし」というような性格は、
よく考えてみれば、昔からであった。
スーパーファミコンを子供の頃やっていた世代であるが、「スーパードンキーコング」というソフトがあって、
私はそれを十字キーを進行方向に押したまま(つまりノンストップで)、ステージをクリアしないと気が済まない人間だった。
同じく「マリオカート」ではアクセルは踏みっぱなしでないと駄目(こうやると早くなるんだけど)。
そのほか、自分が作っている粘土とか絵を他の人間が一ミリでも触ると、ふて寝。
習い事のピアノはミスなく弾けないとふて寝。


とにかく、なぜかあの頃から非常に頑固で、その性格というのは今にも引き継がれ災いしている。
「こうでないとだめなんだー!!!!」と頭やら身体が叫びまくって、頭を含む全身を常時けだるくしている。
そういう頑固な性格で生きるのはそろそろ限界だから、もっと軽々生きるような性格に変えようよ、という話。
そのほうがはるかに楽に生きることができる。
仕事もそうだし、人間関係もそうである。自我というのが昔から強かった。
この話は、今年の抱負にも書いたけど、書いてすぐ、あっという間に頑固な性質というのが戻ってくるために、
こうやって今年は何度も書くのである。


この性格では生きづらい。硬い硬い。私の身の回りを覆っている何かがとても硬い。
見えないものだけど、私はそれを意識でき始めて、それが私を小さな所に限定しているのが分かる。
もっと自由に!もっと無形に!
こういうとき、自分自身を何か違うものにイメージするのは良いのではないかと思う。
ゼリーとかスライムとか粘土とか。なにか可塑性のあるもの。
リキッドに流体的に生きよう。
格好よく言えば、無頼派。(「ぶらいは」と読むらしい、「むらいは」と思っていた)


私はゼリー、私はゼリー、私はゼリー。どんな衝撃を受けても、私はそれをぽよぽよと捌きいなすのである。
こういうメタファーが大切だ。人の体はメタファーで動く。
今年はこういうぽよぽよだとか軽々だとかのオノマトペで私は動く。それが昨年と違うところ。
オノマトペは身体に密接な言葉群だけど、逆にいえば身体はオノマトペで動くのだ。
オノマトペの持つ隠喩性というのは、よくよく身体を動かしてくれる。


もっとぽよぽよ、もっとぽよぽよ〜。