京都一日目

三日間ほど京都に旅行に行ってきた。
所謂、卒業旅行というやつである。


まずは深夜に家を出発して、午前6時頃、京都は伏見の「伏見稲荷大社」に到着。
写真のような鳥居が何本も連なっているという「千本鳥居」というのが有名である。
小一時間ほど鳥居だらけの山を散策。
どこに行っても鳥居だらけ。
鳥居の山道を小一時間歩いて、近くの食事処で朝定食をいただく。
この辺りで京都弁を初めて耳にして、京都に来たのかぁと実感。


近くには龍谷大学というのがあり、キャンパスを見たら私が通っている大学よりもはるかに上等であった。
京都でのキャンパスライフなど地方では味わえない楽しさがあるのだろうと想像した。




その後、本願寺と東寺に行った。
京都駅の近く、下京(しもぎょう)区の堀川通りにある。
今は親鸞聖人が生誕750周年らしく、なにやら大きなイベントの準備がなされていた。
本願寺はとても大きなお寺である。
確か小学校か中学校の頃に、修学旅行で本願寺は訪れたはずであるが、そんなに記憶にない。


お次は東寺へ。東寺も下京区にあり、丁度「骨董市」を開催していた。
外国の人も骨董市目当てにたくさん来ていたようである。
とにかく人が一杯であって、フリーマーケットのようなノリで、焼き物、反物、屋台の食べ物など
たくさんの店が軒を連ねていた。
私は正直骨董を買おうにもそれほどのお金を持っていないために、ただ骨董市は見学にいっただけである。
東寺には五重塔があり、拝観料を払えば近くにいけるので一応お金を払い入場。
別料金で東寺の国宝を見ることもできるのだが、それはしなかった。
おそらく東寺も修学旅行で来ているという気分になった。
記憶というのはあてにならない。


東寺のある下京区から五条通を西へ行くと「西芳寺」というのがある。
別名「苔寺」ともいわれているお寺で、拝観のためには3000円の拝観料が発生する。
また「はがきでの予約」というのが必要で、前準備がいる。
下京区から少ししか離れていないのに、この辺りは本当に静かで落ち着く場所であった。


中に入るとまず本堂撮影禁止などの諸注意を受けた。
それから般若心経を三回ほど皆で読み、写経をする。
まずこの読経がお盆のとき唱える経よりも幾分も早いので、目で追うどころかどこを読んでいるのかも見失った。
写経も最初は正座で続けていたが、半分も写経しないうちに足がしびれて写経どころではなくなった。
仕方がないので胡坐で写経をした。
写経も最初は丁寧にやっていくのだが、この調子では終わらないと思い、細かく筆をコントロールすることをあきらめる。
写経して思ったのだが、筆をコントロールしようと思い、短く筆を持つよりも、
筆を多少長く持って、自分でコントロールしようとは思わないで、筆のゆくほうに任せるような
そんな心境でやるべきものなのではないかと自分で勝手に決め付けて、
自分では達筆だと思い込んで写経をしたのだが、完成したものを見るとみれたものではない。
最後に名前と住所を書いて、それから願い事を書く。
「自分の道が開けますように」ということを書いて、神前に持って行った。
私の今現在の現状からして、確かにどこかで「道を切り開く」ということが必要である。


写経の後、下の写真のような苔生した西芳寺の庭園を見学。
本当に苔だらけ。
その後、西芳寺の近くの蕎麦屋苔寺をモチーフにした蕎麦を食して嵐山のほうに向かう。




嵐山の渡月橋(とげつきょう)は、丁度西芳寺から北のほうへ行ったところである。
つまりは下京区堀川通りからは北西にあたる。
ここでは天龍寺の「八方にらみの龍の雲龍図」を見学。
その後嵐山駅周辺で、お土産などを買った。
嵐山自体がとても洒落た町で、嵐山駅なども非常に上品な飾り付けがなされていて、
地方とは全く違うとも思ったし、京都に住むなら嵐山周辺が静かで上品のような気がした。


この時点で日が暮れてきたので、お宿のほうに向かった。
まずは嵐山の近くにある三条通りを東に向かい、途中で四条通りに乗り換える。
四条通りは地方で生活している人間にはとてもにぎわっているように思えた。
なんだか通り全体が活気にあふれている。
四条通り自体とても長い通りなのであるが、すべて商店で埋め尽くされている。
四条通りを東へ向かうと突きあたりに「八坂神社」がある。
この辺りの「ねねの道」という洒落た名前の道に目的のお宿があった。
「元奈古」という旅館に泊まった。
私の知人が旅行券に当選しなければ、まず泊まれないような旅館である。
今回の旅行で一番の贅沢はこの旅館である。
ちなみに「ねねの道」の「ねね」とは豊臣秀吉公の妻「ねね」に由来すると思う。



このお宿を探すのに、この辺りは一方通行が多いのでとても迷って辿りついたのであるが、
宿探しの時点で尋常ではないこの土地の洒落た感じを味わう。
日も暮れいたのだが、京都の旅館はこういうものぞ、というような旅館ばかりが連なっている。
まず普通の大学生では泊まろうとも思わないような高級旅館のなかに目的の旅館があった。
雰囲気からこんなところに大学生が入っていいのか、と思うくらいのところで・・・。
ただ、こういうところにも社会勉強として飛び込んでいくのが大学生というものである。


旅館に入ると、早速女将さんらしき女性が膝をついて出迎えてくれる。
その所作というのが上品で驚いた。
地方ではこういう女性にお目にかかることは滅多にない。
いや、地方にもある程度の旅館には、こういう所作を叩き込まれた女将さんというのはいるのだと思うが、
私の乏しい社会経験、人生経験のなかでは、こういう女性を初めて見た。
とても丁重に扱われたのですっかり良い気分になってしまう。
接客というのは恐るべしである。
きっちりとした礼儀、礼節というのをマスターして他者と接すると、こうも違うのか。
人間社会の中で生きていく時の一つの武器になるのだなぁ。
その辺の俗っぽいビジネスマナーにあるような礼儀礼節ではなく、京都の女将さんや旅館関係者のなかで伝授されている
接客の技術というのがきっとあるのだろう。
これも一つの社会勉強である。接客の技術を極めて生きている人もいるのだなぁ。
私の身辺にはいないために、少しだけ世界が広がったような気がした。
本当の接客というのは動的プロセスであり、文字情報を読んだだけでは身にはつかない高等のものである。


そんなことを思いながら、部屋に通されて、部屋の上品さにも驚いた。
綺麗な和室に、綺麗なお庭。
こんなところに泊ってよいのか、と随分と臆していた。
部屋をしばらく見学していると、夕食を始めますかと聞かれる。
丁度19時だったので、早速「京料理」を頂くことにした。


出された料理は和食のフルコースである。
すべてがおいしかった。お酒も焼酎の「いも」と「麦」、それから冷酒まで頼んでしまった。
(お酒は別料金である)
料理がおいしくて、お酒もおいしいのでどんどん飲んだ。
おそらく人生で一番おいしかったくらいのお酒であった。
冷酒は女将さんが手酌してくれた。
(冷酒は英勲というお酒だった)
「お注ぎしましょうか」と優しく言ってくれたので、恐縮しながら注いでもらう。
とてもうれしかったし、これも社会勉強である。
いつかこういうところに泊まれるくらいのエンジニアになればよい。
そうなったらここにまた来よう。


その後、お酒をたくさん飲んで、いい気分になった後に、旅館から散歩に出かける。
近くには「高台寺(こうだいじ)」や「八坂神社」などがある。
高台寺はイルミネーションを使った夜の拝観があって、おいしい料理と美味しいお酒ですっかり気持ち良くなったあとに
散歩するにはうってつけであった。
御池の水面に秋の紅葉が映し出されていた。
静かに降っている夜の小雨もまた気持ちがよいし、石畳を良い雰囲気にもしていた。
これを「京の夜」と言わずして、なにをそういうだろうか。
うっとりしながら御池の水面を見つめて、李白のように水面に映る紅葉でも捕まえてやろうかと思った。
この時点でかなり満悦状態だったので、確かにあの時点で溺れて死んでもよかったかもしれない。
それはそれで幸せであったであろう。他人にご迷惑がかかることだろうが。
詩でも読もうかとも思ったが、あいにくそのような頭もない。
こういうときに教養があると、さらに素晴らしい旅になるというものである。
日ごろそういう本も読んでおかないとなぁ。


散歩の後に旅館に戻り、お風呂に入った。
夜も更けって京都一日はこれにて終わり。
大満足であった。
今振り返ると、とても幸せな一日だったなぁ。
卒業旅行であるし、一生大切な思い出になったことだろう。
卒業旅行に自然と一緒にいけるような友人というのは、本当に貴重なものなのだろう。
(おそらくなかなか得られない)
長い人生を見ると、そういう出会いとその思い出というのは、儚くほろほろと過ぎていく人生の中で、
ずっと人間を暖め続けてくれる記憶なのだろう。