引き続き気分がめいっているが

親からのプレッシャーと、現状の自分の学力を憂慮する心もあり、
昨日から不安に苛まれている。
こういう時こそ、行動しか無かろう。


物事に対して、否定的な感情にのまれそうになる。
しかし、大学で「知的好奇心」というものを欠いたら、私はおしまいだと思う。
いままで私は、大学での勉強を「嫌な仕事」としか考えていなかった。
親から「単位、単位」と言われ、まるで萎えていた。
そうではなく、本当は自分の「知的好奇心」が先頭にあるべきである。


前期に学習した「フーリエ解析」のノートを見る。
一応、フーリエ級数フーリエ変換は一通り学習している。
あとは「偏微分方程式」への応用という部分は学習していないが、
このフーリエ変換がいかに偏微分方程式の境界値問題を解くために役立つのか見てみたい。
これは私の知的好奇心である。


確かに目の前に、山のようにやらなければならない科目があることであろう。
しかし、それを前にして知的好奇心が萎えてしまえば、それは一体何になるだろう。
それらを楽しむことなしに、日々くらい気持ちで大学生活をしてきた結果、
私は大学から離れることになった。
しかし、学生実験にも知的好奇心を、演習書の問題を解くのにも知的好奇心を携えて
本来は興味津津で取り組むべきものを、私は嫌な顔をしながらしていたわけで、
だからこそ、大学生活でうまくいかないのである。


昨晩から吐き気がすさまじかったが、学問というのは本来そういうものである。
労働ではない。
もっと目の前のことに取り組めることを幸せに思いつつ、それをこなすのである。
不安ばかりに駆られていると碌なことがない。
それは心の強さで支えるしかない。


後期はこの不安を払拭することが鍵になるだろう。
こんなところで私は終われない。気分が滅入ったらそこで終わりである。


確率統計を学ぶ理由は、実験のデータ処理に役立てるため、それから量子力学に来年でも取り組むため。
それもすべて私の知的好奇心から出てきた課題である。
すべては私の知的好奇心からきているはず。
そうであってほしい。