阿蘇山など



そういえば昨日は阿蘇山にいった。
阿蘇山などずいぶん遠いから行ったことなかったのだが、それなりに面白い旅になった。


阿蘇山には牧場がたくさんあるようで、
観光客相手に乗馬をやっている施設で「馬肉」を食べた。
馬刺しではなく、焼いてあったのでほとんど「牛」とあまり変わらないように思えた。


その後、阿蘇山火口へ。
写真でも撮ってくればよかったのだが、デジカメの類は持ち合わせていないので仕方がない。
ネットで検索した画像を添付しておこう。
火口には乳白色に緑がかかったような液体がたまっており、ずいぶん温度が高いようでふつふつと沸いている。
液面から靄が発生しているが、これは硫化水素であるらしい。
体に良くない気体であり、少しばかりなら吸ってもなんともないが、
風向きの関係でこの気体が少しでも濃くなると、けほけほと咳が出てしまう。


火口周辺では、地元の人だろうか、硫黄の塊を売っていた。
真っ黄色の物質で、赤ん坊の頭程度の大きさのものである。
どうやら風水に良いらしく、乱立する同じような火山グッズを販売する人たちは、
この物体を家のある方向に置くと運気があがるというセールストークをしていた。


昨日は、火山の環境は「注意レベル」らしく、心臓、気管支が悪い人間は注意しなければならないということだった。
「警告レベル」になるとおそらく入れないのだろう。
別段、それらに異常がない私でも、硫化水素の匂いには随分まいった。
しかしながら、視覚的な意味では火口はまさに自然の芸術であった。


その後、湯布院に行く。
阿蘇から結構時間がかかるのだが、お湯につかりにいくわけである。
前に別府にも行ったことがあったのだが、今回は湯布院ということである。
別府はかなりバブリーな匂いのする街であったのだが、
湯布院はどちらかというとお上品な街であった。


観光案内にあった温泉のなかから、よさそうな露天風呂を選んだ。
「●の湯」というよさそうな旅館の温泉に入ろうということになって行ってみたのであるが、
どうやらこの旅館の温泉は、「外来お断り」であった。
そもそもこの旅館のたたずまいからして、ただ事ではない上品さであった。
明治の文豪が湯治に訪れるような旅館であり、大学生の私には敷居が高かった。
それでも温泉だけお願いしてみると、外来お断りということで・・・。


それで温泉街を散歩しながら、外来を受け入れている温泉を探した。
良さそうなところがあったので入ってみる。
「香椎荘」と言った。



料理を注文すれば、もれなく温泉を安い値段で入れてあげますよ、と看板に書いてあったので早速入ってみる。
もとはと言えば旧陸軍の中将が建てた別荘ということもあって、なかなかの佇まいと貫録であった・・・。
私はこのような上品なところではあまり食事をしないのだが、せっかくはるばる湯布院まで来たということで奮発する。
2000円の地鶏料理を食べ、その後温泉に入る。
地鶏料理は地鶏の蒸し焼きがメインで、そのほか茶碗蒸しなどがつくものであった。


その後、露天風呂にも入る。
「●の湯」の観光案内にあるような露天風呂を囲む風景と比較すると劣ってしまうが、
しかし良い温泉であった。
かつての中将さんも、後輩などを呼び集めてこの風呂に入ったのかなぁと想像する。
旧海軍の歴史なら、阿川氏の本で多少知ってはいたが、陸軍さんとなると全く知らない。
阿川氏は陸軍嫌いだったし・・・。


それでも山本五十六、米内光政、井上成美(すべて海軍関係者で彼らをテーマに阿川氏がものを書いている)
にでもなったつもりで露天風呂でくつろいでみた。
別荘とはいっても随分大きな家で、高級な日本家屋だったので随分そのような雰囲気がでるのである。
旧軍の関係者はほとんど武家の血を受け継ぐ人間だったらしいから、きっと中将さんも良い家柄であったのだろう。
大正か明治の軍部のエリートになったつもりで入ると随分気分がよいものである。
一時の妄想ですが・・・。
古めかしく上品な家に住んだことがないので、まるで映画の世界にでも入り込んだ気持ちになるのである。


とにかく湯布院という土地は、古くから湯地として栄えていて、
旅館も上品なところが多いのである。
基本的に街の建物も、レトロを意識して作られているので、明治、大正と素敵な日本の浪漫の時代に
入り込んだ気持ちになる。
街自体がバブリーな別府より、はるかに落ち着いているのでお育ちのよろしい人間は好きなのだろう。
私などは居心地が悪くて仕方がなくなるのだが。
もしかしたら別府ではお金さえ多く稼ぐことができるようになれば、
トップクラスの待遇を受ける権利が得られるのかもしれないが、
一方で別府は一見さんお断りなどの高級旅館が存在しているのかもしれないと想像させる街であった。


別府は別府で、「政財界の大物」のような人物が似合う街であるし、
一方で湯布院は湯布院で「育ちの良い参謀的なエリート」のような人物が似合う街である。
私といえばそのどちらにも該当していないために、少しだけ落ち込んでしまう。
世の中には、「入りにくいところ」というものがあるものである。
大人になるとそういうことがわかるのであるが、人はどうやら平等ではないようである。
いまさらであるが・・・。


大学生になって旅行に行き始めて良く思うのは、
家柄とかそういうものは私には備わっていないということである。
しかし、それがあると何かと良いことが起こるのが世間というもので、
なんだかなぁという気持ちになったりもする。


そんなことを思ったりもした阿蘇旅行であった。