social network


今更ながら映画「social network」を見る。


ハーバードの学生が開発したサイトだとは知らなかった。
他国においてface bookで政乱が起きたりしたことなど、話には聞くface bookであるが、
私は大して身の回りにネットワークなどというものはないためにそういうものには登録はしていない。


アメリカの大学生というのは、随分日本の例えば地方の底辺国立大学とは違うものだと思った。
金を稼いで成功者になろうとぎらぎらしている。
ハーバードの学生は、美人な女と、金、社会的名声を追いかけるために忙しいのか。
無論追いかけても手に入らない私などは、それを黙ってみているしかないのだが。


しかし、ハーバード大学卒業でオリンピックに出たり、face bookという世界的なサイトを立ち上げたりと、
どれほどのタレントがそろっている大学なのか。
長身で、ユーモアがあって、人脈、富、それらがすべて揃っているという学生が闊歩する大学というのは、
私の大学では信じられないのだが、そういう大学も世界にはあるのだろう。


そもそも大学生の分際で、弁護士を雇って、弁護してもらうなんてなかなかできない。
普通の日本の学生であれば、弁護士費用など払える人間は少数であろう。
少なくとも私の身の回りにはいない。


主人公がハーバード大学の、その中でもエリートしか入れない秘密結社のようなものに入れないで嫉妬する、
という場面が出てくるが、アメリカはああまで競争社会なのか。
ハーバードというだけでエリートのはずであるが、その中でもさらに選抜されて、
入れない人間が嫉妬する組織を作り上げる。


結局、人間社会ってそうなのかもしれない。
社会の主軸であろうとするために、押し合いへしあいして牌を奪い合う。
社会の上層へ行く人間は、さまざまな要素に恵まれ、どんどん厚かましくなっていく。
世の中厳しいね、ホント。
日本も小泉政権時代は、このような市場原理主義アメリカ化を進めていたはずであるが、
あのような肉食獣的には日本人も成りきれなかったりするのだろう。
おそらく大半の日本人がアメリカに行くと、たじたじするだろう。


人から羨ましがられる人間になりたい、というのは小学生でも芽生える原始的な願望だろう。
特に高校、中学などでは、「魅力的な異性と交際するグループ」なんてうらやましいけれど、
実体があるのかないのか分からないものがある。
そのために、クラスの中で妙な政治がおこなわれる。
そのグループに入るためのアプローチはいろいろある。
ユーモア、スポーツを頑張る、ルックスに磨きをかける。
それらを駆使して、なるべくその中心に行くように努力をする。


「おじさん」とか「おばさん」になると、いつの間にか見えなくなる世界ではあるのだが、
しかし、それを純粋に追いかけていくアメリカの大学生のなんと無邪気なことか。


人間同士のネットワークの、なるべくコアの部分に入り込みたい、なるべくその中で裕福に生きたい、
そんな欲望の増幅装置がface bookのように思えるのだが、
それを本気で願ってface bookに登録した人間の多くは、その願いをかなえたのだろうか。
多分face bookのなかでも現実と同じことが起こっていて、
繋がれる人間はより多くと繋がれるが、繋がれない人間は本当に繋がれないのではないだろうか。
「閉鎖性」といっていたが、face bookは、繋がりたいという欲望を増幅させはするが、
より「閉鎖性」まで増幅してしまう結果になって、
欲望の強さだけは一人前にも関わらず欲求不満という可哀想な人間が結構いることだと思われる。
だったらしなければよいののだが、しかし、コアのネットワークには入り込めず、
それを周りから指をくわえてみているという「観衆」も、そのようなネットワークを維持するためには、必要な人間である。
「入りたいなー、入りたいなー」と涎を垂らしながら、周りから見ている人間は必要なエキストラであるが、
彼らに回ってくる配分というのは、限りなく少ない。


だったら辞めてしまえばよいと私などは思うのだが、それでもやる人間は「リア充もどき」で
一生嫉妬にとらわれて過ごす人間だろう。
そういう人間も確かに世の中にはいる。
離脱する人間もさぞ多いことだと思うが。私も離脱した人間の一人である。