如何わしい読書、詰将棋の本

今日は大学に夕方ころから行って、図書館で読書。
パウリとユングの如何わしい本を読んだ。
そろそろこんな如何わしい本を読んでいないで、普通の物理学をしないと。


ユングがいう元型というのが、人間が科学に取り組むときの原動力となっているという。
人が物事を認識するための基礎的なもの(元型)がユングのいうように存在するなら、
科学という人間の間でもメジャーな文化が、その元型と無関係なはずはないだろう。
両者の間には密接な関係があるはずである。


そんな抽象的な話は、工学の分野では全く必要なく、それは基礎学問の世界である。
哲学、物理学、数学、心理学。心理学は基礎学問ではないか・・・。


そう思いながら、ふらーっといつも行く本屋へ。
新書、文庫などを見て回る。最近、読みたいという本はあまりなかったりする。
ハードカバーの本を読んだ方が、読み応えがある。
背伸びして、みすず書房だとか。
文庫はもう資本主義社会の息の吹きかかったものばかりである。
資本主義は大抵の文化を陳腐にしてしまう、などと最近思うが、
それに代わる社会思想など私にはわからない。


それで、最近マイブームの将棋のコーナーに行き、目についた詰将棋の本を手に取る。
詰将棋は将棋上達においてよい効果がありますという。
「詰み形」を覚えることが出来て、終盤力がつきますし、
また「読み」の力を鍛えることが出来ますと書いてあった。
羽生さんもそんなことをエッセイで言われていたと思い、ついに詰将棋の本を購入。


書店で、数問解き、ぼちぼちいけるなと確認して、家でも数問解いてみた。
毎日トイレで取り組んでいたら、一か月もしないで解き終わるのではないかと思う。
捨て駒」が頻繁に出てくるのだが、その手筋が好きな詰将棋作家なのだろうか。
それとも、詰将棋のなかではやはり捨て駒というのが基本なのかな。


解いていると、あっそうか、となっていわゆる「アハ体験」を味わえる。
今は眉唾扱いになっている脳科学者が使っていた懐かしい言葉である。
詰将棋でもそれが味わえるなら、脳味噌にもよかろう。


それで帰ってから一局ほど、将棋を指す。
穴熊になった。
最近、振り穴の本が出たので、振り穴が流行っている。
だから居飛車穴熊を主戦法とする私と対峙すると、相穴熊になる。
今日はもう途中でこりゃ負けるなと思ったのだが、相手は手加減してくれたのか、
私が嫌だと思う手を指してこない。
一番いやなのは、大駒を穴熊に向かってぶち込まれて、
取られた金銀を穴熊に近接するようにおかれることなのだが、
それをしてこないので、なんとか助かった。
相手が相手なら間違いなく負けていたのだが、運よく勝利し、レートを7級に戻す。


とりあえず、この詰将棋を三回ほど解いて、さっさと次の詰将棋本に行きましょう。
そうしてどれだけレートが上がるか、実験である。
棋書は正直、ろくに読んできていないし、最近の行き詰まりを打開するのは、
やはり詰将棋のような気がしている。




そういえば、本屋に鏡があって、自分の姿を見てみたのだが、太り過ぎである。
なんとか痩せないと。