アジとブリ

今日は小雨が降る中で、傘をさして歩いてのんびり大学に行き、履修登録を済ませて家に帰った。
田舎なので結構緑が多い道を歩き、地方のFMを聴きながらのんびりと歩く。
たまに聴くお昼のラジオはなんだか癒される。
いつも地方特有の話題で、この田舎も捨てたものではないような気がしてくる。
今日はこんにゃくのお話で、おいしい水がとれる地方では、いいこんにゃくができるそうである。
だからこんにゃくと水を生産しているという会社があって、
それらの特産品を道の駅なんかで売っているのだと。


こういう会社とか地域社会とか、私はいいなぁと思うのである。
私が大学に入るまでは、まずは大学受験を勝ち抜き、それから名のある大企業に入ろうなどと、
どこかの教育ママのようなことを考えていたのだが、
次第にそういうことに意味があるのかどうかを疑い始めた。
確かにそのような人生は他者と競って自らの優等性というのを示すような生き方であるが、
他者と競って勝ったから自分自身は正しい、優等な人間であり、さらには人生が肯定される、
といった想像力のない人間が私は嫌いである。
私の母親などは特にそうであり、そもそも私がいる工学部というところも実学だからそのような傾向にある。
大学の講義でノートをきっちり取り、試験前には協力し合い、情報交換をして、良い成績を収め、
親が喜ぶような企業に行くという気持ちの悪い価値観というのが大学を支配する雰囲気である。
講義中には計算機よろしくてきぱきと計算して、従順なレイバーの出来上がりである。
決してワーカーではない。
そもそもそういうスノッブな雰囲気がまかり通るのは、大学の格というものが低いのだろう。
多くの人間がサラリーマンの子供であり、あくせく上からの命令に従順に従うことが至上である。
こういう傾向というのは、偏差値の中途半端な大学のほうが強いのではないかと思う。
世の中を作っていこうというよりは、世の中に従順していこうという意志の方が強い。
大学でしっかり友人というか、協力し合って卒業しようとしている人間がグループを組むわけだが、
ああいうグループに属する人間のフットワークの軽さが嫌いである。
なんだか嫌である。
私の家の母親のような顔である。


閑話休題
それで道の駅で地域の特産品を売ったりするのって悪くないなぁと思った次第。
田舎の道の駅というのは、田舎のおばあさんの家にでも寄ったかのごとくのんびりしていて、
居心地がよいのである。私は農家にでも生まれた方が良かった人間なのかなぁ。
あまり大学というところの空気が合わない。


それで帰りにスーパーによって、地元に帰ったら全く売っていない刺身を買って帰る。
実家のスーパーに行ってびっくりしたのだが、ほとんど魚などは冷凍なのである。
その日採れた魚を刺身にしているところなんんて、私の地元ではないのである。
しかし、この大学のある田舎は違って、スーパーで新鮮な刺身を売っている。
買ってみたのだが、本当においしいのである。海の恵みということはこのことである。
この辺は地産の味噌だって、漬物だって美味しい。


それで、今日は贅沢にもアジとブリの二つのお刺身を買って家に帰った次第。
のんびり歩いて大学に行き、のんびりとスーパーにより、のんびりと家に帰る。
全てがスローライフ。こんな生活はあと数年で終わりである。
昨日買った白ワインがあるから、刺身をアテにして飲もうかしら。
大学で田舎に来て、こういうことができるようになったのが、一番の救い。
そして私の身体は都会よりも田舎の方が肌に合っている。