メンタルコントロール、処女塚


今日も将棋を三局ほど指した。
一局目は角換わり。こちらがミスをして角をただで取られて負け。
あそこに角をうってはいけないといういことが分かった。


二局目は向こうが矢倉できたので、雁木右四間で応戦。
かなり押していたが、攻撃で大きなミスが出て負け。


三局目は相手が中飛車で振り穴してきたので、かなり苦戦したが勝ち。
相手が間違わなければ負けていた。


負けたらいらいらして、挨拶もしない、なんて精神状態になるが、そういう気持ちではあまり勝てない
ということが最近分かり始めた。
最初によろしくお願いします、というボタンがあるが、声に出して言うだけで随分精神状態が違う。
思うに、私は失敗するとすぐにイライラして、次なる失敗を招くという性格であるが、
この性格が自分の人生において随分災いをもたらしたと思う。
そういう気持ちを治めるためには、そういう気持ちを敬い供養することである。
最後に挨拶もできないような精神状態というのは、良くない。
徐々に慣らしてメンタルコントロールができるようにならないといけない。
そのために将棋を続けようと思う。そういうことが学べれば将棋をしている甲斐もあるというものだ。


供養といえば、「処女塚」というものがあるらしい。
いつも読んでいるブログに書いてあった言葉で、名前からして興味をそそられてついついgoogle検索した。
どうせどこかの豪族が死んだ時に、処女を何人も生き埋めにしたのだろうと思ったのだが、
「処女塚」にまつわるお話は結構切ない話であった。
ちなみに読み方は「しょじょづか」ではなくて、「おとめづか」である。


話は元ネタは万葉集である。
だから西暦400年ころのお話である。
この処女塚のお話は、森鴎外によってリライトされたりしている。


ある一人の処女(おとめ)がいた。随分綺麗で美人な娘だったらしい。
それを二人の男が取りあうわけである。
ある日、二人の男が「あの飛んでいる白鳥を先に弓で射とめた方が、娘と結婚できることにしよう」と
三角関係に決着をつけることにした。
そうして二人が同時に白鳥を射ぬいた。
ドッス、ドッスと白鳥に二つの矢が刺さったようである。


その白鳥が射ぬかれたとき、娘は自分が射ぬかれたような衝撃が走ったらしい。
二人の男は「今日も決着がつかなかったか」と帰って行ったが、
娘は一人水辺に残って、射ぬかれた白鳥に「私のせいで死んでしまった」と懺悔した。
そして娘はその場で死んでしまった。


その後、一人の男がそれを見つけて、彼女を追って命を絶つ。
それからもう一人の男も「負けてたまるか」と、彼女を追って命を絶つ。
この若い男二人と、娘を供養するために、「処女塚」が作られた。
死後何年も、二人の男は幽霊になりながら力比べを続けていて、不思議なことがよく起こったので、
供養したようである。
夜中に「刀を貸してくれ」という若い男がよく現れたらしい。


私も美女が好きになって、男どもが彼女の周りで群れる中に入っていき、戦った経験があるけれども、
なぜあんなにも魅力的に映るのだろう。
この処女塚のお話では、登場人物である美女はもはや神のような完璧性を持っているように描かれている。
外見が美しく、心も美しい。
自分のために犠牲になった白鳥をしのんで、死んでしまうくらいである。
この完璧な女性像というのは、昔から描かれている。
現実の女は、毛穴だって目立てば、垢もでるし、体臭もするわけであり、
さらには狡猾で精神性のかけらもない場合もあるわけであるが、
特に神話に出てくる女性像というのは、まったくそういう人間らしいものが感じられない。
ただただ美しく、この世に存在している特異点のような、非現実的なものとして描かれる。


現実に自分が結婚する女は、そのような美女ではない可能性のほうが高いのだが、
なぜ男たちはこのような神のような女性像を大昔から語りつづけるのだろう。
アニメでもそうである。
美女が主人公のアニメも結構多い。
たとえば攻殻機動隊の少佐なんかも、強くて賢い美女として描かれる。
強くて賢いのは、女が男に求めるような性質なのだろうが、
現代の男は、強さや賢さまでも、女に求めるようになったらしい。