天野宗歩とか小池重明とか

将棋界にはやたら「伝説の●●さん」だとか「伝説の一手」とか、
語り継がれてまして、江戸の棋士天野氏の棋譜もデータベースにあったので
のぞいてみてみる。
あとは伝説の真剣師小池氏の棋譜も見てみる。


伝説の棋士などというと、棋譜もものすごく理解できないのだろうと思いながら、
棋譜をみるのですが、そこは将棋だから、駒が動くのは当たり前で、
どんなに天才といえども、ルールを外れて駒は動かせないわけで、
棋譜をみれば大体はわかる。もちろん奥が深さは分かっていない。


なんと天野氏の棋譜には1890年とある。
いまから100年以上前の人間の棋譜をみるなんて、なんだか不思議な感じがした。
将棋は「相掛かり戦」とあったが、矢倉に近い陣形にお互い組んでいる。
序盤が定跡化されはじめたのは、ごく最近のことだと森下氏の著書に書いてあったが、
アグレッシブに攻め駒と守り駒を交換しにいくわけでもなく、
なんだか不思議なテンポで対局が進んでいく。
見ていると今の人が指す将棋とは素人目に見ても違うので、江戸の家元の匂いがする。
100年前にタイムスリップして、将棋を一局できたら楽しいだろうなと思った。
言葉は今の日本語とは違ってほとんど通じないかもしれないが、
将棋のルールは変わっていないはずで、2011年から来た素人棋士の私がその辺の棋書で齧った
最新戦法を携えて勝負しにいったら面白いなぁと妄想する。



真剣師小池氏の棋譜も見た。
なんというか、自由な将棋である。振り飛車党であって、
守り駒は2枚だったり、一方でがっちりと振り飛車穴熊にしてみたり、
中飛車から陽動で、他の筋に鞍替えしてみたり、小学生でもしそうな作戦である。
あとは嵌め手的な打ち方で(銀ばさみとか)、歩を進めていって、
なぜかとらない歩があるのである。私には意味のわからない歩もあって、
まぁ銀でとるなら、銀の位置というのは前にでると調整しづらいからそれが理由かとも思いつつ、
昭和の匂いをさせる棋譜であった。
確かに小池氏の将棋というのは、その辺の棋書に書いてあるような型どおりではないので、
将棋研究家のようなガリ勉タイプのアマチュア棋士は随分戸惑うことだろうと思う。
とにかくアマチュア的な嵌め手の多い指し方で、なぜか小池の対戦相手を応援してみてしまう。
相手が居飛車党の場合、なぜか応援したくなってしまう。そんな陽動に負けるな、と。
でも本当に上手いし、巧妙だし、どちらかというと剛直な将棋というよりも、巧妙な将棋である。
私はがっちりした将棋の方が好きで、詐欺師のような将棋は嫌いである。



将棋界というのは「伝説」の多い世界で、真剣師などというと「ハチワンダイバー」よろしく
なんだかドラマ性をもっているのだが、棋譜を見たら普通に将棋している。
羽生さんの対局を見ていて、凄い人もいるもんだなぁと思いはしたが、
そもそもあの81マスと限られ、駒の動きもルール化された世界の中で、
素人とは一線を画すということを表現しようとするならば、それはそれは大変なことなのだろう。
それでもこの人はすごい、さすがはプロ棋士だと思わせることができるなら、
それはよほどすごいのである。