フラッシュバック

先月、ボウリング場でチンピラに絡まれて胸倉を掴まれた。
私は振りほどいて警察を呼ぶと相手は手錠をされ警察署に連行された。

私はイライラしていたので、ネットで事例を調べ診断書を翌日もらった。
全治一週間の打撲である。
相手は一日と少し警察署で拘留されて釈放。

弁護士に頼むと全治一週間程度では、慰謝料よりも弁護士費用のほうが
高くつく様子である。おまけに警察は証拠が不十分だからということで
検察に書類も出していない状況なのではないかと思う。
警察も小さな暴行事件では動きたくないだろう。

とにかく被害者になって良いことなどなかった。
慰謝料がもらえる、などということを勝手に妄想していたのだが、
実際にはそんなことはない。

個人で刑事告訴する方が良いのかもしれないが、果たしてどうなるのか。


ネット上には同様の質問が上がっているが、弁護士費用の方が高くつく、
という例は相手がどんなに悪質な人間であっても謝罪もしないし、慰謝料も払わない。
私がなぜこんなに損をするかといえば、社会的地位もないし、法律に詳しい友人もいないし、
私に法律的な知識その他全般が不足しているからである。

弁護士に相談すれば30分5000円という金額がかかる。
びっくりするぐらいの価格である。それだけ法律というものの敷居は高い。
なるべく敷居を高くして、情報が外に漏れないようにしてある。
医療も同じである。情報が漏れるどころか、医者でない人間の医療行為は違法である。
この法律と厳しい国家試験によって、人々が安心して医療行為を受けることができるのも
事実ではあるが・・・。

そう考えると、医療や法律などに携わる人間というのは、社会的な力を持つわけである。
専門的知識があるというよりも、それがあり、またそれを行使できるというのを
社会的に認められているのが非常に強く働くわけである。

大学生という身分の私が、このような法律業界の高い敷居というのをみたりすると
私もそろそろ大人になったのだと思うわけである。
私の専攻は工学である。
ベンチャーでもして成功しなければ、
高い社会的地位というのは得られない。
業界が高い社会的地位を担保してくれるという業界ではない。
非常に一般的であり、特権のない業界なのではないかと考え始めた。

大学選びも重要だが、分野選びも非常に重要である。
人間社会というものはそういうものである。肩書きがつけば自然にお金も集まってくる。
そうでない人間は、孤独に貧相に暮らす。
私はいまいる大学を希望していたわけでもないし、この選考を選んだのも同じくである。
流されてここまで来たというしかない。
年ばかり取り、社会的地位などはつかない。
まるで自分が無力な人間のように思えてくる。びっくりするくらい無力である。

年をとるにつれて社会の壁というものを大きく感じ、
私を阻害しているように思えてくる。
あまりよい年の取り方ではないのだろう。
あまりに無力な人間に一度やってくる好機というのは、大学受験であろう。
私はその機会を逃した。バカみたいな大学生をやっている。
自分を取り巻く環境のすべてが嫌である。
自分でもこんな状況になったのが信じられない。

4回も留年したり、チンピラと悶着して損をしたり、もう落ちるところまで落ちたな、
という感じである。高校を卒業して以来、順調に下落している。
大学の勉強がうまくいかないのは、勉強した先に希望を見いだすことができないからだろう。
馬鹿みたいにこき使われるにきまっている、と思っている。
夢も希望もない。正直昔の自分が今の自分を見たら、そんな状況になっている、
とは信じないだろう。
本当に昨今の自分は暗いじめじめした日々を生きているように思う。