今日はぼちぼち

昨日はなんだかさぼりたくなって研究室にはいかなかったが、今日は朝から出勤。
それで座標変換について理解を深め帰ってきた。
私についた指導の院生は、あとは三/相/イ/ン/バ/ー/タまで行けばプログラムのソースファイルを渡す、
ということを言っていた。
だから今の教科書をぼちぼち読み進めて、プログラムまで行けばよいか。
座標変換についてはぼちぼち理解を深めたけれど、謎な部分も結構ある。
三相を二相にする、というのは自由度を考えればそうかとも思う。
だけれど、なにかあまり納得できない。
表面的にはわかる、けれどなぜそのように考えるのかがいまいちわからない。
一応頭の中にはとどめておいて、早急に探すというよりもいつか機会が訪れるのを待つ感じで。
あとは共同研究先の企業とのミーティングの日にちがぼちぼち決まったらしい。
不安はやはり感じるが、あまり不安が先行しすぎないようにしたい。
事後、無駄だったと思う不安が私には多い。


あとは、前の紹介した自己中君は、学会発表の締切があったらしいが、どうにもエスケープしたらしい。
ボスといざこざがあって、メールのやりとりで「研究なんてやめちまえ」というのがあったという噂が研究室に蔓延していた。
狭いところだから、噂なんてものはすぐに伝わるようで。
そういうメールを送ったとボス自身が言っていたらしいけれど、私は実は送っていないのではないかと思う。
メールなんて証拠が残るものでやると、パワハラで訴えられたときに不利なんて誰でもわかるだろうから。
こういう風に私も無粋なことに噂話を楽しんでいるが、あっという間に噂が噂を呼んでいる様を見ていて、
なんだかなぁとは思う。
しかし、その自己中君、皆にもう研究室には来ないだろうと言われいたが、今日は夕方から研究室に来ていた。
挨拶もしないで、私の横にどかっと座り、ジャンプを読んでいた。
・・・何しに来たんだ。
なんだか空気が悪くなったので私が帰ろうとすると、「皆はいつから盆休みを明けたのか」と聞いてきた。
周りは気になるのか。
「人にどう思われようが関係ない」という気持ちは、一昔前まで私はとても大切だと思っていたわけだけれど、
ふと周りが気になりつつも、傍若無人を保とうとする痛々しさというのは、昔私もそうだったなぁと思い出させるけれど、
黙っていても自意識過剰性が伝わってくるので、どうにも息苦しくなってしまう。
まるで他人の屁を無理やりかがされているような気分になる。
22歳という年齢で、結構難しい時期とは思うけれど、はっきり言ってあまり近くにいたくない。
しかしながら彼はこれからの処世をどうするのか気にはなるが、人の心配は無用である。



研究室での一日はそんなこんなで終わり、久しぶりに映画を見に行ってきた。
おおかみこどもの雨と雪
とてもよい映画だった。母親になる女性は見るとよいと思う。
つらい時はいつも笑顔で、子育てで疲れてもいつも笑顔で、やがて子供が離れていくときも一時は悲しみはすれど、
最後にはやはり笑顔で送り出す。
多分なかなかできることではない。
見ていると、自分の幼少時を思い出して心に響くものがあった。
別にこの作品と同じような幼少期を過ごしたわけではないけれど、なぜか断片的にきりきりと心に響いた。


あとは切らしていた柔軟剤を買って家路についた。