ゼミの準備など

今日は「自己中君」のゼミであった。
いつもしているマスクを珍しく外して、気合を入れたのか赤いパンツをはいてきていた。
企業からは若い衆しか来ていなくて、いつものおじさんの強烈な質問はなかった。
「当然わかりますよね」という自明を表す表現が多用されていて、正直私はよくわからなかった。
なんというか脳みその構造が違うのを確信した。
本当に第一感で理解しているのかどうか知らないけれど、「わかりますよね」という表現が多い。


自分のわからない質問が出たら、考えようともしないで先輩に丸投げ。
ゼミの後に、先輩と答えられなかった質問について次のゼミまでに考えてくる、というのがあるのだが、
「この質問には答える気はないです、面倒くさいので」とキッパリ。
さすが末っ子、さぞ思い通りに生きてきたに違いない。
・・・嫌いだ。まるで私の妹のようである。
しかしながら、本人は同期の中で自分が一番賢いというセルフイメージを強烈に意識しているようで、
私が「あいつのプレゼンはすごかったよね」という話をすると、なんだかむっとするらしい。
「この研究室には優秀な人は来ません、ほかに行きます」とまで言い切り、周囲を苦笑させたりもしている。
強烈な自意識を感じてしまうので、少々疲れる上に、ついついからかいたくなってしまう。


ゼミの後は、私にどうしても感想を聞きたいらしく、しきりにこちらを伺っていた。
・・・別に感想などない、私にはとても分かりにくく、いくら表面上取り繕って強い語気で進めたとしても、
ついてきた人間というのはおそらくほとんどいない。
周りに理解させようという気はなくて、なにやらつつかれないようにガードを固めた話し方。
「当然わかりますよね」といえば、理路整然と誤りを指摘されない限り、「わからない人間はお馬鹿」となるわけで、
質問などなかなか出ないような、巧妙といってもよいような話し方。
概していえば、自分を否定されないために細部を省いた「自慰」のようなゼミであった。
何が楽しいのか正直わからない。


その後、感想を聞かないで、ほかの隣人と話している私に、強引に「愚痴」と「苦労話」をしてきた。
やたら視線を感じていたのだが、どうせ愚痴だろうと思い、そちらのほうに視線を向けないでいたのである。
「質問に答えるのが面倒くさい」とか言われても私は困る。
こやつには、他人などは「愚痴を吐き掛けてストレスをぶつける対象」でしかないらしい。
「疲れた疲れた」とやるせない声で独り言を言い始めて、担当の先輩が来てからはストレス解消の対象が彼に移った。
担当者は人格が安定しているらしく、不快なそぶりは一切みせないのだが、よくあんなの相手にできるなと思った。
癪に障るので精神衛生上よくないから、一刻も早く離れたい。


夕刻は、自己中君を除く同期の仲間で、夕飯を食べに行った。
皆そろって夕飯を食べたのは、初めてだろう。
自己中君は、おそらく断るだろうということで、誰も誘わなかった。
こればかりは仕方がない。


しかし、やたら自己中君が癪に障るのは、性格が高校時代頃の自分に似ているからではないかと思う。
強烈な自意識というのは、なにかほかで発散したりしないとなかなか取れてくれないものである。
勉強を頑張るだけでは、おそらく取れてくれない種類のもので、憑りつかれれば苦しい。
出会う人に出会ったり、やりたいことに打込んだりしてようやく解放されるものであるはずだけど、
生憎ストレートで来ているから、そんな暇もなかったことだろう。
可哀そうといえば可哀そうではある。


あとは、トラ技などを読むようになったくらい。読まないと進まない。
自分がトラ技読むようになるとは思わなかった。