そろそろ今学期の生活にも慣れてきた

そろそろ研究室に行くのも慣れてきてしまったし、ある程度ルーティンが決まってきたわけで、
そんなにドキドキするわけでもない「日常」に日々が漸近しているように思う。
今日は、朝から計測の授業に出て、そこで加速度計について学び、
あとは教授の説教を聞いた。
それから研究室の同期と学食へ行き、適当に飯を食った。
昼から出された「高/周/波/イ/ン/バ/ー/タ」について勉強したけど、私はいまいちわからなかった。


「優秀」とか「成績トップ」とか言われる人たちを見ていると、「情報収集」に熱心である。
絶えずお互い連絡しあい、「情報の並列化」をする。
「信頼されている」一人が間違いを犯すと、皆それに追随することもしばしばある。
今日などは、私は絶対彼らがやるスイッチ構成の仕方は間違いだと思ったのだけど、私は信用されていないらしく
私のやり方は広まらなかったわけだけど、最後には私のスイッチ構成に行きついたらしい。
なんというか、「情報収集」にはとても熱心だけど、それが正しいかどうかって考えるのはあまりしないらしい。
・・・昔の私だったら、「こいつら大嫌い」といっただろうけど、どうでもよい。
私の隣の「ボケ茄子」なんて、「労力はなるべく省く」のが信条らしく、つまらないやつである。
私の妹のような要領だけは良いタイプに見える。
・・・嫌いだ。
反吐がでる。その恩恵をまれに受ける自分が嫌ではある。
しかし、学校ではこういう「つまらないやつ」の成績が良かったりするのは度々ある。


8年通って思うのは、別に目標とする企業なんてないし、「最小の努力で●●という企業に行く」とか、
私の嫌いな人たちの「生き方」からは正反対のところにいる私は、
あまり「学び」に関して「経済合理性」を元に語らないようになった、ということだろうか。
「こんな学校で努力しても何の意味もない」と昔は本気で思っていたけど、最近はもはやそういうことはどうでもよい。
ただ、暇だから何かに取り組むだけの話である。
暇がつぶれればそれでよい。
別に私がこれからこの学科でも忙しいといわれる研究室において、+4年という経歴で、
いかに忙しく過ごしたとしても、まったく努力が無に帰す(就職における努力の経済合理性に反する)わけだから、
今から私がするような苦労というのは全くの徒労であり無意味である、というような「つまらないお話」などは気にならない。
そんなことはどうでもよい。


なんだかよくわからない文章になってしまった。
最近、文章を書いてもなんだか意味不明のうちに終わってしまう。
書いていても、すべてがバラバラで、意味のまとまりを作ることができないような気がしてならない。
日々、鬱屈していたような精神状態で学校に来ていたころのほうが、まだこの点ではましだったかもしれない。
日々があまりに平凡であり、凸凹がないために、何やらとろとろと脳みそも溶けてしまうようである。


そういえば今使っている、研究室のシミュレータというのは、ルンゲ・クッタ法という微分方程式の数値解析法でできていて、
タイムステップをより細かくとらないと、解析的に考えて予測される挙動とは全く違うシミュレーション結果になるようだ。
数値解析というのは便利だけど、一方でタイムステップが荒いと、解析的に予想される挙動と大きく違う結果になるということを知りつつ、
シミュレーションソフトを使いこなさなければならない。
妙に波形が荒れると思ったら、このタイムステップだったらしい。


研究室にいて思うのは、確かに情報の並列化も大切であるし、私には明らかにそれが足りていないわけだけど、
一方で一人で考える時間もとても大切である。
両方大切なのであるけど、どちらかに流されそうになる。
このシーソーのバランスを保つのはなかなか難しい。


頭の中がざわざわする。瞑想をするか、筋トレをするか、そういうことを身体と心が求めている。
T/O/E/I/CのIPテストの申し込みも今日したから、英語の勉強も開始しないとなぁ。
スコアは仮に低くても晒すつもり。