正式な発表

本日、進級について正式な発表が張り出される、ということで学校へ。
名前は掲示板に張り出された紙の隅のほうに、ひそっと書いてあった。
同じ8年生が私を含めて他に数人。
毎年90人程度、この学科に入学しするのであるが、最後の年に進級した数人。
「落ちこぼれ」なのかしら、まぁ世間一般で考えたらそうである。


ネットで進級要件を満たしているのを確認したし、定められた進級要件をぎりぎりで通過しているとは分かっていたのだが、
しかしながら、学科の掲示板を見に行くと自分の名前がないのでは、という不安に駆られた。
別にない理由を探す方が難しいのだけど、なぜだかそんな不安というのが私の中を駆け巡って、
夢の中で掲示板を見に行って、なぜか自分の名前がないのにあたふたする、というようなものも見た気がするし、
学校に行くと不安にさいなまれたのも、もしかしたら正式な発表がない宙ぶらりんの状況だったからかもしれない。
なんだかいろいろイチャモンをつけられて、要件を満たしていないことにされそうな気がしてならなかった。
可笑しなものだけど。


そこまで思い入れもない学校なのだけど、しかし7年いて退学、なんてことになったらそれはそれで大波乱である。
本来なら実験一科目分だけ、人に助けてもらわないと単位が足りていなかったために、
そういうこともありえたわけだけど、紙一重でそれを一応回避したらしい。
今思い出しても、あのギリギリ感というのは、すさまじいものがあった。
実際に退学を覚悟していたという時もあったし、精神を保つのもやっとな時期は終盤にはあった。
とはいっても序盤は余裕をかましすぎていた、というのもあったし、終盤にはやばいやばいといいながら、
さほど行動には反映されていなかった、というのもある。


そう考えると、終始マイペースにやっていた、ということであろうが、だとしたら別段精神的にくらくらしなくてもよいのだが、
なぜだか気だけは小さいので、くらくらしてしまうのである。
一方でぎりぎりを一応計算して動いていた節があって、一体自分というのはなんなのだろう。
舞台の上で、役になりきってドキドキしたり、涙してみたりする役者と大して変わらない。
シェイクスピアが確か同じようなことを言っていた気がした。
これのことか。


とすれば私はファルスである。舞台の上の道化である。
「電気系8年生の就職活動」というドラマを演じるだけである。
その間には「苦労」とか「挫折」というのがあるに違いない。
終わりのない物語はないから、最後には結末がある。それが今の私に想像できるものではおそらくない。
あと「8年生の研究室生活」というドラマも演じなければならない。
今年は題目が二つもあるため、忙しい年になるんだろうねぇ、へへへ。
海でも見に行こうかなぁ。


そういえば、先週受けたゼネコンの一次審査は、本日メールでお知らせが来るはずであるが、連絡がない。
ということは私は落選。
一体何が悪かったのだろう、確かに言われているように自分を否定された気持ちになる。
テストとは違うのは、なにが理由で落ちたか分からない点だなぁ。
そうなると、泥沼にはまるように、自分の至らなさについてうじうじ考え始めるのだろう。
これが一度ならまだいい、どんどん落ちていけば精神に悪いものが浸食していく。
あまり気にしては駄目、というのは確かにそのとおりだと思う。
落ちてもともと、という気持ちでいたほうがよい。
一筋縄でいかないだろう、思い通りに事が運ばないであろう雰囲気がぷんぷんしてきた。