アンチクライスト

アンチクライスト [DVD]

アンチクライスト [DVD]


2009年のカンヌ映画祭を騒がせた映画である。
日本版のDVDでは、性器にモザイクがかかっているのでとても白けてしまう。
このインターネット時代に「性器にモザイク」など悪い冗談であると思う。


内容のほうは、騒がれるだけある、という感じで性暴力シーンがほとんどである。
映画祭で観客のうち、幾人かが気絶したということであるが、嫌いな人は嫌いだろう。
随分、なにかの暗喩か象徴かというようなシーンも多いために、解釈なんかもネットでは盛り上がっている。
エログロナンセンスと心理学をごちゃ混ぜにしたようなものだから、現代人の好きそうな映画ではある。
知的なように見えて、それでいて性暴力の欲望まで満たすのだから、見た後は軽い自己陶酔まで覚えるのだろう。
今の時代、理性は性暴力と対比されて描かれるのではなく、それらは絡み合いながら描かれるようである。


自分の頭の整理のために、多少内容を書こう。
登場人物は夫と妻、それから転落しする彼らの子供だけである。
二人が夜なかに性交に夢中になっている間に、幼児は窓を開け転落死してしまう。
このシーンはとても美しく描かれているので、夜な夜な目が覚めて両親の性交を見てしまった幼児が、
(両親が性交しているのを見たといってもティーンエイジャーがそれを見るのとはわけが違う)
まるで「自殺」を図るかのように「転落事故」を起こしてしまう。
自殺という言葉も知らない幼児が自殺できるか、というわけで常識的には転落死だが、
しかし作中には「自身の内臓を食らう小動物の赤ん坊」というのも出てくるために、
「いや、自殺という言葉を知らなくても自殺は可能かもしれない」とも思わせる。
正確には自殺という表現は不適当かもしれない。
正しいのは「死に向かう」ということか。


子供の死によって、この心理学かなにかを専攻している母親は病み、それからセラピストである夫とともに、
治療のために森の中にある小屋で、セラピーを開始した。


実際には、子供の死によってというのは正確ではなく、(子供の死によって狂ったというのは映画の紹介文で多用しているが)
もともとこの女は狂っていたのであった。
16世紀の魔女狩りについて、「女の魔性性」について彼女は森の小屋の中で研究していたのである。
子供もつれて行って、そこで子供に虐待を加えていたような形跡まである。
それもひどい虐待で足の骨に異常がでるほどである。


魔女狩りで、女がひどい拷問行為を受けたのは、女自体がひどい「魔性性」とか「サタン性」というものを
実は有していると彼女は思っているし、さらには彼女は彼女自身の中にそれを見出すことができた。
一般人から見ればこの時点で彼女はかなり狂っている部類であるとは思うのだが、
彼女はどうやらその狂いというのは、多くの女性について共通ものもだと考えていたのだろう。
この辺りは、男である私にはまったくわからないブラックボックスの部分であり、そうなのかそうでないのかは分からない。
ただ、女が女を語るとき、あまりよい性質のものではないというような言い方をするのは、その「魔性性」というのを
どなたもうすうすと感じているのだろうか。
それは私には絶対わからないし、この映画の監督は「女性嫌い」を映画化したとも言われているので、
彼女が持っていた考えの信憑性というのは、「政治的に正しく」言えば「すべての女性に共通しているわけではない」であるが、
この映画を現実を模倣する芸術としてみるとすれば、「どちらなのかわからない、いや多分そうであるかもしれない」
くらいであろう。


自分の子供の足に杭をうちこむ程度に、彼女は「魔性性」というものを持っていて、
女のからだがその源ではないかと考えている。
彼女の理性と魔性性はせめぎあい、最後には自分のクリトリスを切り取るという暴挙に出るわけであるが、
(日本のDVDでは当然モザイクかかっている)
まぁ狂った映画である。


はたしてこの作品を「女」が見たとき、どう思うのだろうというのは男の私には一番興味深いところである。
男である自分が見ても、女の悪魔性については判断できないけど、女はこれを「あるある」と言いながらみるのか、
「クレイジーだ」と言いながら見るのか。